本当に珍しく、、、多分、5年以上振り(或はもっと)くらい?で、実家の母からの手紙が郵便で届いた。
'email'に対して、所謂 'snail mail' と言うやつね。
(カタツムリのように時間が掛かって届くから)
でもって、送られて来た封筒を見て思わず笑みが溢れた。
さすが日本! 切手までハローキティ。。。
80歳過ぎの老女が力の弱いペン圧で書いたたどたどしい筆跡で、遠縁で94歳だった誰それが亡くなった葬儀の話、60年以上前の懐かしい想い出話などが綴られ、老人ホーム、グランドゴルフなどの単語が登場する手紙の入った封筒に貼られた、何とも無邪気にカラフルで子供っぽい切手とのコントラストが激し過ぎて笑ってしまった。
ま、だからどうと言うことでは無いんだけれど。
ただ、こうして手紙が郵便で届くことも滅多に無くなった今、少し前までの手書きで文章を書くと言う行為や、想いを文章にしたためる儀式的な意味合いのある重みや、封をした後に手持ちの切手の中から時節や、書いた文章の内容や気分に見合ったものを選んで貼る密やかな楽しみみたいなものの全てを、ちょっと懐かしく感じて。
それでなくとも日本製の文具類は高品質でデザインにも優れているので、手触りのいい素敵なデザインでの便箋や封筒を未だに何種類も手元に持っていたりするんだけど、最近では本当にまるで取り出す機会さえ無いの現状はちょっと残念。
何しろ最近では「ペンを持つ」と言う行為さえなかなか無かったりするから、、、クレジットカードの署名さえ不要になったし、、、小切手をたまに切る時くらい、あとは冷蔵庫のドアに張るカレンダーに家族の予定を書き込むとか、そんな程度で。
おまけに、そんな時に書かれる殆どはローマ字アルファベットだし。
なのでいざ、日本語での文章を手書きしようとすると何とも頼りなくバランスの悪い感じの書体で。
うろ覚えの漢字も怪しく、間違いも多いし。
頭の中で文章を組み立てる際に、自然に浮かぶ表現がまず英語だったりすると、それを日本語に翻訳する作業を要して、日本語での単語が即座に出て来なかったり、ぴったりとハマる表現が出来なくて葛藤して妥協すると、何だかもう当初の純粋な自分の意図とはズレた意味合いになってしまうような気さえして、本当に面倒。
そもそも英語表記と日本語表記との間には相容れない全く別の世界があって、日常的に、習慣的に英語で思考し、判断や対話が全てそれに付随してる環境の中で、「日本語で文章を書く」と言う行為は、私にとって、とても労力を要する作業だったりする。
そういう意味では、手書きでの日本語文章に限定せず、メールでのやり取りであっても、相手が日本人の場合の日本語での対話の際は、(最近の私にとって)活力があって気分が高揚して頭の回転が比較的速い時でないと難しい気がしてる。
何事も日頃の飽くなき鍛錬なのだろうと思いつつ、、、脳ミソもカラダもぐーたらゼリー状と化してる傾向な私が書いてるケド。
2 件のコメント:
まあ!思いがけない嬉しいお便りでしたね~。
お母様が自筆で書かれた手紙なんて、それだけでジーンときてしまう私。それに、キティちゃんの切手を使われるあたりに、ユーモアのセンスも感じられますよね。
まゆみさんが目の前にいたら、聞いて欲しいような事を綴ってこられたのかな?
素敵なお便りでしたね~♪
まゆみさん♪
実は電話の度に「そのうち手紙書くから」とか「近いうちに出すから」とか言われ続け。
私は、手紙「出す出す詐欺」みたいだねぇーなんて言って笑ってたんですが、ようやく本当に届きました。(笑
直筆での手紙って、やっぱり電話で喋るのとはまた違って、特別な趣と言うか、価値がありますよね。
最近ではなかなか出来ませんが。
あぁ、だからこそ希少価値があるのかも知れないけれど。
郵便受けに届くのは嬉しいものですよね♪
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