2017年11月23日木曜日

Thanksgiving Weekend

今日はアメリカの収穫祭/感謝祭でつまり "Thanksgiving/サンクスギビング"。

学校や仕事が連休になる人も多いみたいで、火曜日に Textile Centerの仲間との昼食で、地元で人気のビールの醸造をしてるレストラン『Surly』http://surlybrewing.com (メニューも今風で料理も美味しい♪)に行ったら、広い店内のテーブルはどれも埋まって、ほぼ満席状態の活気に驚いた。

ウェイトレスさんの話では、多分、ホリデーで遊びに来てる州外の親戚とか、遠くの大学に通い帰省してる学生さんたち仲間とか、とにかくサンクスギビングで人々が集まる機会でもあり、ランチ+ビールにこぞってやって来てるのだろうって事。

アメリカのサンクスギビングは、何だかカナダのそれよりも大袈裟な印象。

ともすればクリスマスのホリデーと同等か、それ以上くらいな勢いで。

うちの近所の通りにも普段見掛けない車が多く停まってるのを見ると、親戚や友達が集まっての食事会なのだろうなぁ〜と想像する。

ミネソタ暮らしのカナダ人一家の私たちにとって、そんなイベントや光景はちょっとだけ羨ましくもありつつ。

でも実は、正直なところ、そんなに社交的とは言えない私たちなので、沢山の人が一度に集まって交流するのは苦手な部分もあり、だからそうした面倒なこともなく静かに家でのんびりと、自分たちの好きなことをしてだらだらと過ごせる連休は、とっても幸せなことだったりもする。

とは言え、近所には顔見知りの友人やご近所さんも多く、ヴォランティアや趣味を通じて集まる仲間が沢山いるので、この土地でのエイリアン的な孤独感とか疎外感とかは一切ないのではあるけれど。

そしてミネソタの気候は変化が激しく、既に今季は2度の降雪もあったり、昨日は−10℃くらいでいよいよ寒いと思ったら、明日は一転して10℃くらいまで気温が上昇する予報で、Davidは再び自転車に乗って出掛ける予定に嬉々としている。

私は隔週で火曜日に参加していたラグ・フッキングの仲間が、新たなグループを月曜日の晩に始めて、会場がうちの近くの教会(もの凄く大きな建物で部屋が幾つもある)なので、早い晩ご飯の後にパジャマで出掛けられるような気軽さで。

そのお陰で、Textile Centerも隔週でなく、毎週火曜日に顔を出せるようになったお陰で、以前にも増して仲間やスタッフとの関わりが濃く深くなった気がする。

やっぱり人との関係は、時間や会話を重ねて距離を縮めたり信頼を築いたりするものなんだって事を改めて実感するような。

そんなタイミングで Textile Centerの資金集めのキャンペーンがあり、事務局のジェニーさんから、ニュースレターに掲載する為の短い記事を書く依頼を受け。

英語が母国語ではないながら、自分の書いたメッセージと顔写真が載ったニュースレターが会員たちにメールで発信されたのを見るのは感慨深かった。

まぁこの時期、寄附や募金を募る団体は少なくないので、キャンペーンを成功するのは容易ではないのだけど。

フッキング仲間のジェイン・Nさん(ジェイン・Zさんとの区別でNを表記)も恒例でホームレスのシェルターに寄附する為の靴下集めをしているし。

善意とか貢献とか、どこで線を引くのか難しいところ。

私はヴォランティアとしてシニア施設に時間を提供しているし、それがたまたまギフトショップでもあり、ヴォランティアは20%のディスカウントもあるので時々そこで買物もして資金の貢献もしてる。

Textile Centerではギフトショップに作品を提供して、売り上げの40%が差し引かれてセンターへの資金となるので、それが私なりの貢献かと思ってる。

だから実際にお財布からお金を出して寄附するのは、もっと生死に関わるような、切羽詰まって援助を必要とするような場所(戦火の医療施設での器具や難民の為の毛布、発展途上国の子供たちのワクチンなど=ユニセフ)に贈りたい。

確固とした線引きが自分自身の中にはあるものの、でも、ホームレスの為の靴下をあげない事に対する後ろめたさみたいなものがあったりするのが嫌。

前回の Textile Centerでは、私が納品?したばかりのネックレスが2つと、ニードル・フェルティングの鳥と樹株のピンクッションが早速に売れていまい、ギフトショップのコーディネーターであるナンシー・Gさん(周辺にナンシーさんが沢山いて、ナンシー・Mさん、ナンシー・Kさん他)も嬉しかったみたいで、私の顔を見るなり報告してくれて、ついでに High Five/ハイ・ファイブ(空中で互いの手を叩くこと=日本では何故か「ハイ・タッチ」と言うやつ)もした。

少し前、ナンシー・Gさんとはちょっとした確執があり、メールでのやり取りで問題を解決しなければならない経過があったので、それを解消してわだかまりが無い事をお互いに示すことが出来たみたいなのは良かった。

その件で、Textile Centerのディレクターであるカールさん(明治のカールおじさんを連想してしまうけれど!)も巻き込んでたのだけど、彼がわざわざ私のところにやって来て、声を掛けてくれたことにも感謝しつつ、「すっかり問題は解決したので大丈夫です♪」と伝えることが出来て良かった。

何かしら問題が起きた場合の対応とか解決する手法とか、日本と北米との間で随分と違うのは、やっぱり歴史的背景に基づく文化や国民性の違いが大きく、その上で価値観の個人差や気質/性格なんかも当然あるから何かと勉強する事は多い。

明らかなのは、日本の「出る杭は打たれる」に反して、北米では、特にアメリカでは「Squeaky wheel gets grease」(ギシギシと音を立てる車輪は油を注してもらえる)ってメンタリティの土壌があり、カナダはその中間って感じ。

長年の北米暮らしで私は随分と違う自分になったのを実感する。

勿論、日本で暮らしたとしても、歳と共に経験を積んで分別のある思慮深い賢明な老人へと成長することも出来ると確信するのではあるけれど。

郷に入っては郷(Hiromi Go!を連想してしまう自分に苦笑)に従うべき場面が多々あるのは現実で、日本ならでは発想が通じなかったり、不利になったり、危険だったりさえする事もあるから、やっぱり私は郷に添うよう進化したのだろうと思う。

その過程で、何を失ったかのか(日本らしい、日本人ならではの何か)を自問自答することはあるけれど、ちょっとだけ残念な気もしつつ、けれど、それは仕方の無いことなのだ、ってな開き直りの気持ちもあり複雑。

そして手作業の場面でも季節柄のホリデーがテーマとなり。

手持ちの毛糸で色んな(クリスマス)ツリーを試作中。

幾つか作ってインスタグラムにアップしたり。

*Textile Centerのギフトショップに納品しようと思ったら
仲間うちのメアリーさんが「英国の友達に贈りたい」ってので
ツリー(↑家の直ぐ右側)を一つ買ってくれた♪*


相変わらず、面白いなぁ〜と思ったり、意外で新鮮に感じることは、第三者の嗜好は、まるで予測が出来ず、見当が付かず、自分ではまるで解らないという現実。

自分で「傑作!」と思ってもウケなかったり、何だか「ちょっと不格好」とか「今一つ」とか思うようなものが気に入られて褒められたり。

「え”ぇーっ、ほんとに!?」とか「そ、そうなの!?」とかの連続。

人の好みは様々で、他人の好みは解らない。

だからこそ、作品が短期間で売れたりするのは余計に嬉しい。

認められた気がして。共感して貰ったような感じで。

かと言って、売れたからもっと作る?ってな気分にもなれず、つくづく自分はビジネス思考の人間ではないなぁ〜と思うのだけど。

売りたいけれど売れ筋を作る葛藤があったり。

自作の作品を売ると言うことに関する場面で、まだまだ試行錯誤の手探り状態で、自分との問答を延々と繰り返してるのが、何となく哲学的だったりもして、時に仏教の思想みたいだったりもして、やっぱり自問自答の過程は面白い。

本当に自分が望むものを見極めたり、自分の才能や本質を掘り下げて探求したり。

Textile Centerでの仲間は皆、知的で個性的で、それもそのはず作家だったり写真家だったり彫刻家だったりするプロ集団でもあるので、そんな魅力的な大人の中に身を置いて多大な刺激を受ける。

一方、ラグ・フッキングの仲間の多くは一般的な主婦で、作業するフッキングのデザインのほとんどは「買った」ものだから、自分でデザインをしたり手描きをしたりの "Creativity"の核とも言える下地の部分をやらない人が多い。

話題も子供たちのスポーツだったりTV番組のシリーズだったり。

全く別の、要素の違う女性たちのグループではあるんだけど、、、だからこそ、そのどちらにも関わることが出来るのは面白い気がしてる。

この先どうなるか?は解らないけれど。オプションとか選択肢があるのは素敵♪

明日は Thanksgivingの翌日で巷で言われる "Black Friday"と言う大セールの日。

店によっては早朝から開店するところもあるみたいで、目玉商品を狙って店の前に行列が出来たりもするんだけど。

そんな中になって、私はシニア施設のギフトショップでヴォランティア予定。

高齢の入居者たちが争って押し掛けないといいけど。

そんな事になったら死者が出ない可能性も無いとは言えないから。

高齢者ならば尚のこと。ひぇ〜。




2017年11月12日日曜日

冬時間+11月初旬

先週の日曜日に夏時間が終わり、時計の針を1時間戻した。

ちょっと早めに目覚めた日曜の朝に、実はまだ「あと1時間眠れるのよ」みたいなのは何だかちょっとだけ得した気分で嬉しい♪

これでまた「夜明け」の自然な明るさで目覚めることが出来るのも嬉しい。

何しろ最近は朝7時になっても辺りは真っ暗で、寝室の電気を点けずに箪笥の引き出しからシャワーの後に着るための下着を選び出すのが困難になってた。

それでなくても私の引き出しの中は黒い色の衣類ばかりなので見分けが容易でないのに。

あとは、ミネアポリス市街のカレッジに通う Erikaが、木曜の午前中に早く始まる授業があるので、その日は早い時間の市バスに乗るため家を朝7時に出るのだけど、まだ夜が明けない真っ暗闇の通りへ向かって歩いて行く彼女の後ろ姿を見送るのは、何だか不安で心細いような気がしてた。

夏時間が終了したお陰で、今朝はすっかり明るくなった通りに見送ることが出来て良かった。(と、ここまで書いたのが既に数日前)

まぁそれと同時に日が暮れる時間も早まるので、夕方の早い時間にとっぷりと日が暮れてしまい、暗くなってからの時間に外出する用事があるともう、寒いし暗いし気が重く、出掛けるのが本当に憂鬱な季節の到来って感じ。

やっぱり私は夏の方がいいなぁ〜。

などと言っても仕方ないので、何とか気持ちを切り替え、これから暫くの間での季節ならではの楽しみにどっぷりと浸る覚悟ではあるんだけど。

手始めにスパイスの利いた林檎のジュースを温めて飲んだり、クラムチャウダーはじめ各種のスープを頻繁に味わったり、紅茶も美味しい季節ね〜♪とか言って、やっぱり楽しみは美味しいものからスタートが手っ取り早く。

あとはセーターやカーディガンやスカーフのお洒落も楽しい季節。

手仕事のプロジェクトとしては、季節に関係なく通年でウールを扱い編物も継続してるけれど、それでもやっぱりこれからの季節での編物は何だかしっくり来る気がするし、だから毛糸やウール素材を使った作業に費やす時間の比重も更に増えるかも。

まずは「クレージー・カーディガン」の第二弾として。

日本製の毛糸で北米でも人気の高い『NORO』のシリーズで "Kureyon/くれよん"はウール100%で手触りが柔らかく、発色の良い色が混じり合った毛糸で、いつかこの毛糸を使って何かしら身に纏(まと)うものを作って見たい欲求が、頭の中で沸々と大きく膨らんでた。

地元の毛糸店を廻ったけれど何処も在庫が無いらしく、仕方ないのでネット検索したら全色が18種類あったので、全ての色を一つずつ18個、嬉々として注文。

届いてみると余りにも綺麗で嬉しくて、だから花束みたいに配して暫くの間うっとりと眺めてた。

*国内から17個が届き、何故か1個は遅れて英国から配達された*


編物の問題は「中毒性」があるって事かと思う。

ひとたび編み始めると「あと一段」「あと一段だけ」と心の中で呟きながら、なかなか手を止める事が出来ずに延々と編み続けてしまう。

だから他の事がなかなか出来なかったり、中途半端になってしまったり。

いつもの事ながら、他にも試作したいデザインのアイデアとか、試したい素材の山とか、仕上げるべきプロジェクトが目白押しに頭の中で爆発しそうになってる。

Textile Centerは常設のギフトショップに加え、ギャラリーの部分を全面開放して大規模にクリスマスをテーマにしたホリデー・ストアを展開してるので、そのスペースに展示/販売する為のクリスマス作品を数点仕上げて届けたの同時に、売れ残った分のハロウィンの商品を引き取って来たり。

*ニードル・フェルティングの手法で作った
「シュガー・クッキー」風のサンタの顔のオーナメント*




*クリスマスのガーランド*
(グレーの「紐」の部分は編物用に市販されてる極太の毛糸で
直径が1 〜 1.5 cm 以上あると思われる太さ)


作った作品を販売することは私にとって未だ目新しい体験でもあり、色んな分野での試行錯誤の段階で、実験的だったり、法的な問題の解決が必要だったり、関わる人々とのコミュニケーションの中での葛藤や誤解があって、その解決が必要だったり、何かと神経を擦り減らしたり、落胆したり、憤慨したり、忙しい。

代償として、その後には大抵の場合、嬉しい事があったり、充足感に満たされたり、自己満足感に浸れて幸せだったりもするんだけど。

気分が高揚したり下がったり、ハッピーだったり悲しかったり、本当に忙しいんだけど、それがきっと生きてるって事であり、生涯がずっと学びの連続であるって事なんだろうと解釈してる。

実感させられるのは、色んな局面に置いて扉は一つだけではないって事で、当てにしてた扉が閉じてしまうような場合でも、別の扉がいずれ開いてくれるってこと。

日本語で言うところの、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」そのものですな。

まぁそんなこんなでの日々に追われながら、時に Erikaと母娘ならではの?激しい口論になるような日もあったり、かと思えば、Kaitoと外出した後に帰宅すると、家中にキッチンから大音量での音楽が響き渡ってて何事かと行って見ると、Erikaがゴム手袋して曲に合わせて鼻唄を歌いながら洗い物や台所周りの掃除をしてくれてたり、そんな感じ。

興味深いのは、Erikaが大音量で掛けてるような曲が何故か割りといつも80年代のヒット曲集ってことで、つまり懐メロなんだけど、私にとってのまさに「青春のメロディ」ばかりってこと。

『Spandau Ballet』に、『Human League』、『A-ha』や『The Cure』『 Tears for Fears』なんかで、たまたま私が帰宅した時には『Simple Minds』の♪Don't You (Forget about Me)♪だったものだから、つい反応してしまって、即座に荷物を放り出すと Erikaと一緒にハモりながら踊るって感じの盛り上がり。

世代を越えて愛される音楽の威力って凄いと思う。

特にあの頃はインパクトの強い楽曲が沢山ヒットしてた黄金期だった。

まさか将来、自分の娘と同じ音楽を共有するとは夢にも思わなかったけど。

そしてカナダのは既に随分と前に終わってしまった感のある Thanksgiving/サンクスギビング、アメリカのは今月の23日(今頃?って感じ)と遅めにやって来る。

秋の収穫祭でもあるサンクスギビングに付きもののデザートと言えば、やっぱりパンプキン・パイかな?ってので、ピンクッションを作った。


あとは最近、自分の好きな題材でもある鳥を色んな手法で作ってる。

*樹の切り株のピンクッションと青い鳥たち*


写真に撮ると割りと早い時期にインスタにアップする事が多いので、ブログとは重複してしまうけれど。

とにかく先行き未定の米国暮らしでありつつ、私自身は依然として働けるヴィザが無いので就労することも叶わず、自分だけの車も無いから、毎日、家に居てキッチン・ドリンカーになったりドラッグに手を出したり、気が狂ったりしないよう、手芸に没頭するよう努めてる訳だけど。

正直、この先に何を求めてるのか?自分でも謎。

手芸家として作品展と販売を愉しむのか、もっと芸術的な、繊維の彫刻家とか、繊維の絵画とかの表現の道を極めるのか、果たしてどの道でどの辺りのゴールを目指したいのか模索中。

友人の母親は70代の後半に画家として著名になったエピソードなどを聞くと、私にもまだ十分な時間があるような気もするし。

でも、もう十分、自分の好きなように好きな事をして生きたような気もするし。

昨日、Erikaから徐に「どんな老人施設で余生を送りたい?」と訊かれて唖然とした。

たまたま一緒に老人施設内のギフトショップでヴォランティアをしてるから、ってなタイミングでもあったんだけど。

施設で多くのシニアやシニアのご家族や、看護師の人々と接する機会があり、体験談を耳にする度、色々と考えさせられるのは事実で、だから Erikaもふと気になったのかと思うんだけど。

日本人の私と、カナダ人の夫と子供たちと、米国で暮らす現状は良いとして、この国の政治や保険制度を考えると、将来的に長く暮らすのは難しい気もする。

日々、あれこれと考え思い悩む事は尽きないのだ。。。ふぅ〜。