2018年12月30日日曜日

2018年の最後の頁

カナダで暮らしてた際には、Davidの両親や妹が郊外や市街に住んでいて、車で30分とか45分とかで集まれる距離感だったから、誕生日や父の日&母の日、事あるごとに一緒に仲良く賑やかに祝ってた。

だから勿論クリスマスも一年で最後を〆るイベント的に、食卓を囲んでのご馳走を食べる目的の為に早くから集合して、分担毎に野菜を刻んだり、七面鳥の詰め物の準備をしたり、キッチンで忙しく働いて、合間にお茶を淹れて、或いはエッグノッグやワインと一緒にクリスマスのお菓子を食べ、ほっと一息つきながらリビングでの会話を楽しみつつ、プレゼントの交換をしたり。

その後、私たち一家はアメリカのミネソタ州に越してしまい、義理の妹は以前住んだ事のあるカルガリーへ引っ越してしまった。

全ての事柄には一長一短あるので、あの頃と今の生活とを比べて果たしてどちらが良かったか?なんて答えは出ないのだけど。

でも、今の生活は明らかに「4人ぽっち」で、静かにのんびりと自分たちのペース。

何をするのも家族4人次第だから、4人揃って家に引き篭もってるってのもアリ。

まぁそれはそれで何ら困る事がある訳では無いんだけど。

家族が4人揃って世捨て人みたいに生きてるのに多少の抵抗があって、だからクリスマス時期でもあるし、最小限で可能な「社交」して見た。

日本だと暮れのお歳暮なんだろうけれど、同じような感覚と目的で、お世話になった人々の為にちょっとしたクリスマスのプレゼントを用意して、Davidとふたりで配達して廻った。

この家に引っ越す前に出逢い、頻繁では無いけれど交流を続けている何人かの人達と、あとはこの家に引っ越してから出逢って交流のあるご近所さん達。

こんな機会でも無いと、なかなか会う口実がないんだけど、久し振りに再会すると何だか嬉しくて、気軽に家に招き入れてくれてお茶を淹れてくれ、互いの近況報告よろしくお喋りが弾んでしまうような関係。

Davidが単身赴任中の大家さん:ラリーさんと、斜向かいのご近所さんで私とErikaにヴォランティア先を紹介してくれたケイトさん、大きな犬を飼っていてErikaに時々シッターの依頼をしてくれるジェシカさん&ドリューさん、そして私のラグフッキング仲間でもありErikaに猫のシッターを依頼してくれたジェーンさん、の計4軒。

家に一旦帰り、今度は徒歩で廻ったのが、お隣のジョン&ジニーさん宅と、反対側のお隣ウッディーさん宅、その隣のブルースさん宅、の計3軒。

*クリスマスプレゼントに用意した品の数々をゲストルームの床に並べて
ギフト用のバッグにそれぞれ入れて準備。
大好きなカリフォルニアワインのロゼ、
これまたカリフォルニアの See's Candiesのチョコレート、
大好きな April Cornellのティータオル、
英国ウィタード社お詰めの紅茶、
クリスマス柄のペーパーナプキン、etc.。*


自己満足的な事でもあるし、乗り気の無さそうな Davidを付き合わせて廻った配達ではあるけれど、年の終わりの締め括りが出来たような達成感。

自発的にやろうとは決して思わないケド、僕の代わりに準備してくれて有り難いと思うし、やっぱりして良かった、、、みたいな感想も Davidから聞けたし!←コレ重要

面白いと思ったのは、クリスマスが明けた翌日に、待ってましたとばかり現在のお隣さん達がそれぞれご夫婦揃ってやって来て、クリスマスのお返しって感じに?プレゼントを持って来てくれて、「お茶でもどうです?」と誘ったら気軽に寄ってくれて、お茶を飲みながら楽しくお喋りして行ってくれたり、別のご近所さんはデザートと珈琲にうちの家族4人揃って招待してくれて、楽しい時間を共有し、何だか一気に距離が縮まり、コミュニティとしての延長家族的な意識が深まった感じがする事。

やっぱり人との交流って大切、、、そう思う。

新しいご近所の皆さんがそれぞれに知的で教養があって、芸術的な趣味を楽しまれてるって部分も大きく、今後、色んな場面で学んだり触発されたりするだろうである事も、今から楽しみでもあったりするし。

そしてクリスマスの前日は、私の女友達を夫婦で招き、(うちの子供たちは抜き)4人で一緒の昼食を我が家でのんびり楽しんだ。

イスラエル人の彼等(アヴィヴァ&デイヴィッド←うちの Davidと同名で紛らわしい)はユダヤ教だから、クリスマスじゃなく、祝うのはハヌカだし。

献立は、野菜のクリアスープ、地中海風サラダ、グリルした夏野菜のラザニア、クリームチーズのケーキ、その他、クリスマスならではのお菓子多数。

家に人を招くと、家の中を隅々案内して披露するので面倒なんだけど。

その風習にも流石に慣れたから、今は割と開き直ってありのままを披露してる。

家族4人でのクリスマスの朝は、恒例のプレゼント交換。

そうそう、今年のクリスマスツリーは、David製作。

*数学的で物理的なエンジニアリングなんだそう*


Erikaが菜食主義になって以来、家族中その影響でそっちの方向になりつつある傾向で、大袈裟な肉料理を作る機会も減り、なので七面鳥の丸焼きもパス。

自分のキッチンで肉料理を作るのは抵抗があっても、完全な菜食になった訳ではないので、クリスマスの昼食はファミリーレストランに出掛け、ターキーディナーのプレートを注文し、クリスマスのご馳走として堪能。

美味しいパイも2種類ホールで買って持ち帰り。

結局、季節のイベントって食べる楽しみが中心って感じよね。

そして妙な体験は、クリスマスを祝って寝静まった後。

真っ暗闇が広がる丑三つ時を廻った頃、正確には午前3時半頃、激しくドアを叩く音とピンポーンピンポン♪と繰り返すドアベルの音を夢心地に聞きながら、「これは夢なの?」と思いつつ、夢では無いって事にびっくり起こされた。

Davidも飛び起きて玄関に下りたけど既に人影は無く、遠巻きに男の人の叫び声が「助けてー!助けてぇーっ!」と聞こえた。

即座に911にダイヤルして、ものの数分で警察の車が2台やって来た。

辺りをパトロールしたけれど、怪しそうなものは雪の上の足跡以外、何も見つけなかったらしく、調書を取って帰って行った。

多分ドラッグか、精神異常の絡みかと思うけれど、「どうしてウチに?」ってのが謎なのと、その男性が求めた必要な助けが得られた事を願うのみ。

あとは年末なのでフツーに家の中を片付けたり。

日本のような暮れの大掃除、って訳じゃ無いけど。

仕事場を片付けながら、クリスマスセールに向けた作業を頑張った達成感みたいなものを感じて、何だかスッキリとしたやり遂げた満足感に包まれた。

連休で Davidも家に居るし、子供たちも学校が長期の冬休みでずっと家に居るし、私も取り敢えず追われる作業も無いし、で何だか家でのんびりしている。

まさに素晴らしい "Staycation"を満喫中〜♪

そして明日はいよいよの大晦日!

さて、どんな美味しいものを食べて年を越そうか?考えるのはやっぱり食べ物の事ばっかりなのよね〜、イベントの際には。

そして最近の作品集:

*太い毛糸で割と早く作れてしまう編みぐるみの人形たち*



side A

side B
*携帯電話を入れるケースを編んで作ってみた*


2019年は、どんなプロジェクトに挑戦することになるのか?今から楽しみ♪

現在の米国大統領を選出した人々の功罪はじめ憂慮する事が多くあり過ぎる世の中で、とにかく世界の平和と秩序、人々の健康と幸せを願う2018年の終わり。

以前にも増して気紛れな頻度で、細く長く続いてる感のあるこのブログにてお付き合い頂いてる皆さまに感謝しつつ、2019年が皆さまにとっても引き続き素晴らしい一年となりますように!


2018年12月17日月曜日

悶々+だらだら+独り言

米国ミネソタ州に引っ越したのを機に、ブログのタイトルを変えた数年前。

カナダのモントリオールに引っ掛けて「悶々とモントリオール」だった頃、実際、自分の人生や諸々をあれこれ考えあぐね悶々としてた。

その後、新しい土地の気候風土(殆どモントリオール郊外と変わらないケド!)や新しい人々との出逢いを経て、新しい暮らしに慣れたものの、それでもやっぱり日々の生活の中での葛藤やなんかに悶々としてるのは変わらず。

何の不満も無く、あれもこれも素晴らし過ぎるくらいに満たされているので、夢のような暮らしなのではあるけれど、幸せ過ぎると逆に、こんなに幸せでいいのか?悩む。。。と言う、何とも贅沢な悩み。

多分、継続的なミッドライフ・クライシスってのはあるかも?

結婚して2度の出産をして子育てに明け暮れて、気がついて見ればその子供たち2人も既に殆ど成人で、、、社会に対する自分に課せられた役目を全うしてしまった、、、と言う達成感と、じゃあ次は何?と言うようなちょっとした喪失感と言うか。

そんな折、またしても腰を痛めてしまい、何、この老体?って感じの情けなさ。

ジムに通って泳いだり、久々にスカッシュを再開したり、控え目ではあるけれど、それなりに体を動かす努力はしてたんだけど。

母が腰痛を患っていた記憶があるので、ひょっとしてこれは遺伝的な要素もあるのかも?なんて思いつつ。

そう言えば、この前、ちょっとだけ雪が降った後で、ドライヴウェイの雪掻きを息子と一緒にしたけれど、ストレッチするのを怠ってた、、、とか思い出したり。

あとはとにかく寒いから、肩を持ち上げて首をすくめるようなポーズに自然となってしまいがちで、猫背っぽい姿勢で過ごしてしまい体も硬くなるって傾向も。

もっと日頃から腹筋+背筋を鍛えないと。。。!

そして長時間での座り仕事の見直しも。

何だかんだ言って、やっぱり手仕事が大好きだし、12月のホリデーシーズンには制作した物が割と良く売れるって状況があって、頑張って作る甲斐があると言うか。

だから時間さえあれば作業場の椅子に座って作業に没頭してしまう。

他にこれと言って携わる仕事も、追われる仕事も無いから、私にとってこれは、目下の「仕事」なんだよなぁ〜と説得させられる感じで。

手間が掛かる割に収入としては効率が悪く、なのでお金を目的に考えると意気消沈+撃沈してしまうってのが正直なところなんだけど。

じゃあ、何でこんな事(物を作って売る行為)してるんだろう私?

そんな自問自答の繰り返しで。

そして自分なりに達する答えはいつも以下の順と構図で。

- まずは社会に認められたい。
(→未知の土地で専業主婦だから、世間との関わりが殆どない)

- 誰かに感謝されたい。
(→家族以外の第三者に、認められたり、喜ばれたりしたい欲求)

- コミュニティに関わって、多少の貢献をしたい。
(→ギフトショップのあるテキスタイルセンターは私にとって出逢いの場所であり、情報や刺激を得る場所でもあり、感謝の意味を込めて「お返し」として売り上げの40%を提供できる)

- そして多少の報酬を得る。
(→売り上げの60%を小切手で受け取ることができるのはちょっとした「お小遣い」であり嬉しい臨時収入って感じ)

そんな諸々を考慮した後の究極の結論として、

- 魂が喜ぶ仕事をする。

と辿り着く答えは、やっぱり自分自身の奥深い場所にあるであろう魂と言う存在の欲求が満たされるのを感じる事が出来るから、って魅力が最大なんだろうと思う。

生活の為にしたくもない仕事に従事する人が多い世の中で、何て幸運な事かと思う。

なのでやっぱり、私の手仕事は社会に対する感謝と還元でもあるんだろう、と。

とは言え、自分が本来作りたいと思うデザインのアイデアが目白押しで頭の中が常に一杯でも、ホリデーシーズンに売る為の、クリスマス関連の売れそうな作品を考え悩んでせっせと針を進めながら、売ることが目的ではない、自分の愉しみと自己満足の為にしたい作業の事を悶々と考えている日々。

ホリデーシーズンは年間総売上げの半数近くを占めるくらい、この時とばかりに売り易い時期でもあり、期間限定だから、出来るだけ沢山の作品を届けたいような欲求が、何とは無しに目には見えない焦りと言うか、強迫観念のようだったり。

特に売るべき義務やノルマ(ロシア語?)があったりする訳でも無いのに。

無駄に気が急いたり、ちょっとしたパニック傾向になったりするのは私の弱点。

売れる時期だし「もっと沢山作らなくちゃ!」と焦る自分の心理は、日本型ビジネス思考らしいってのを何処かで読んだけど、私の根っ子はやっぱり典型的な日本人なんだなぁ〜と思い知らされる。

因みにアメリカのビジネス思考では、売れる商品は、慌てて追加生産するのでなく、単価、つまり売る値段を上げるんだそう。(飽くまでも思考傾向の例として、だろうけど、興味深いと思った)

そして依然、物を売るという状況は私にとって手探り的で探検的な冒険でもあり、マーケティングは奥深い分野でもあり、価格設定も未だ他人任せにしているのは、ちょっと自分の作品に対する自信の無さや責任逃れなんじゃないか?とも思いつつ、時機を見計らっている、と言うか、売れ筋の動向を観察して自分なりに学んでるつもりではいる。

あとは引き続き、アートとクラフトとの線引きについて悶々としているのも相変わらずで、商品として売る目的で作るのは「クラフト作品」で、その作業をしている自分は「クラフト作家」な気分で、自己表現の為に売れない物を作るのが「アート作品」だとしたら、その作業に従事してる自分は「アーティスト」であり、出来れば本来はアーティストでありたいなぁ〜なんて漠然と考えながら、黙々とクラフトをしている12月。

とにかく、派手で贅沢な暮らしは望まず、家族にとって充分に大きく暖かく快適な家があって、健康で、食べたいと思う美味しい物がいつでも食べられるだけで幸せ、とつくづく有り難く思うのは年末ならではの、一年を振り返る心境だから、なのかも?

と言えば、引越し後、"House"が少しずつ "Home"になりつつある。

箱としての「家」が少しずつ自分たちの色に染まって心地よい棲家となる感じ?

そして社交では、必要以上に沢山の友達は要らないけれど、趣味を通じての、本当に気があって刺激し合って成長し合える仲間たちの小さな輪があったり、気を遣い過ぎる事なく本当の自分として向き合える事の出来る親しい特別な友達がいたりする現況にも感謝。

自虐的に、自分たちの事を「内向的な家族」と言ってるんだけど、でも、私自身はそんなに内向的過ぎると言うことも無く、世間一般的に必要最低限以上、外向的で、それなりの社交性はあるつもりなのだけど、暗くて寒い季節のせいか加齢のせいなのか、必要以上に人々と関わる事が何だか煩わしく思うようになって来てしまった。

棲家が快適過ぎるせいもあるのか?人と会わずに家で過ごす時間が多く、ちょっとした「世捨て人」化してるのも気になるところではあるんだけど、まぁそれも悪くない気がして、いっそ仙人にでもなれるよう目指してみようか、なんて。

その意味では、肩の力が抜けて生きるのがラクになった気はする。

あとは匿名性ってのが嬉しくて、引越し後の土地で出逢ったのはご近所さんくらいしかいないので、この辺りで外出の際に偶然出喰わす知り合いもなく、知ってる人に見られる可能性も限りなく低いので、「見知らぬ町の旅人」的な心理で買物を楽しむ事が出来たりする解放感が快感。

そんな延長で、ファッションとしての楽しみも外見(他人から見てどうか)を気にする事なく、自分ならではの愉しみになり、手持ちの服はもう充分過ぎるほどに沢山あるから、それらを楽しく着回し、髪はほぼ「どうでもいい」存在と化して、だから自分で適当に切り揃えるだけで、頭の後ろで小さく一つにまとめてたんだけど。

先週、うっかり短く切りすぎてしまった。。。

仕方なく、後ろの部分だけ Erikaに切り揃えてもらった。

一つにまとめるには短すぎて、だから久々のショートヘアのボブ。

これが思い掛けず人々に好評で驚き。

仲間うちやヴォランティア先でも、社交辞令やお世辞とは思いつつ、でも好評価。

それで思い出したんだけど、私の髪って自然の波のような癖があるんだった。

昔、学生の頃はずっと短い髪だったから、それでも切ったまま自然にうねりや跳ねがあって勝手にスタイリングが出来てたからラクだった。

真似てヘアカットに行っても、私と同じようにならない友達からいつも羨ましがられたのを懐かしく思い出してしまった。

だから逆に、ストレートのシャープなボブにしたい際には、当時流行ったストレートのパーマを時々掛けて真っ直ぐにしてたんだけど。

髪が短いとスイミングへ行った際にラク。

シニード・オコーナーの髪型にするには、もう少し開き直りの勇気を要するかも。

引き続き Etsyも大好きで、徘徊しては刺激を貰ってる。

私が散在するのは目下、素材としてのウールや、あとは個性的なジュエリー。

綺麗な天然石(模様のあるターコイズとか、ラブラドライト)が大好きで、あとは古い手仕事でのヴィンテージに、安価で気に入った物を見つけるのが醍醐味。

新しい家での暖房は一般的なダクト式のセントラルヒーティングじゃなく、各部屋で希望の設定温度を調整する事の出来る、電気式で、それぞれの天井に埋め込まれた熱反射式なのは私たちにとって目新しく。

太陽の下で照らされるみたいな感覚の、体の芯から温まる感じで、就寝時に足が冷えてるって事が無いのが嬉しい。

氷点下15℃とか20℃とかになれば、ガス式のストーブを指一本のスイッチで着火し、ホンモノの炎を眺めながら体も部屋も温める事が出来るので心強いし。

だからあぁ〜、やっぱり快適なのだわ、家で過ごすのが。

まぁそんなこんなでブログのアップは停滞気味でも、Instagramしたり、作業場を「私の幸せの場所」と呼んで長い時間を過ごし、せっせと針仕事に勤しみ、静かに満ち足りた日々を送ってます。

そして、だらだらと書き足してるうちにまたまた月曜日になってしまい、え、クリスマスってもう来週じゃん!?みたいな。。。(大汗)

以下、最近の写真集:

*クリスマスのデコレーション用に裏庭から拾って来て乾燥させておいた木の枝を集め、ガレージの床でスプレーペイントで白+グリッターに塗った。*



*ミネソタ州でお馴染みのデパート『TARGET』にて
今年のクリスマスツリー用オーナメントを大人買い。
どれもこれも可愛くて、しかも1個が$3とか$5とかで買えてしまう。
手作りのオーナメントを製作販売してる私には複雑な心境で
「一体どこでどんな人たちが作ってるのか?」が謎。*




*以前 Textile Centerで買った
ヴィンテージのボタンが詰まったガラス瓶に入った
古いボタンたちの出番!
チグハグなボタンを沢山縫い付けて、オーナメントを作ったり*



*ボタンのクリスマスツリー*



*ボタンやニードルフェルティングの
クリスマス・オーナメントを複数作り
Textile Centerのギフトショップを拡張した
ホリデーマーケットにて販売*