2018年8月25日土曜日

夏の終わりの州祭:STATE FAIR



ミネソタの気候はモントリオール郊外とほとんど同様で、だから
「夏が一番大好きっ!」
と思い切り叫べるくらい、本当に大好きな季節。

何しろ暗く寒く長い冬に比べて、何もかもが開放的に感じるから。

素足にサンダルを引っ掛けて裏庭に出られたり、朝のシャワーも気軽に出来て、髪を洗うのも苦にならず、半乾きのまま簡単に結んで外出しても平気だし、薄手のスカートを軽やかに履けるし、大ぶりの指輪をいっぱい付けたり、気に入りのブレスレットをむき出しの腕に幾つも重ねて付けたり。

デッキの椅子に腰掛けて青い空に浮かぶ真っ白い雲がカタチを変えながらゆっくりと移動するのを、愛用のマグに入れた香りのいい珈琲を飲みながら眺めたり、蚊に刺されながらも裏庭の樹々の間を歩いて森林浴しながら植物の観察をしつつ写真をとったり、裏庭のゲートから遊歩道に出て渓流に沿って犬と散歩に出掛けたり。

買い忘れの食材があっても気軽に車に乗り込んでチャチャっと近所のスーパーマーケットに買いに行けたり、夕ご飯の後に特別なアイスクリームが食べたくなって近場のコールドストーン・クリームリーまで気紛れに、アイスクリームを食べる目的だけの為に身軽な服装で気軽に外出する事が可能だったり。

数え上げればキリが無い程に沢山、夏が大好きと思える理由が思い浮かぶ。

同時に、いかに冬場の気候での生活が制限されて抑圧された気分かを思い知る。

否が応でも、その季節へと向かっていると言う現実に打ちのめされる夏の終わり。

昨日は今季初めての靴下を履いたし、昨夜は今季初めて長いパジャマパンツを履いて寝た。

窓を開けたまま(網戸で)洗いざらしの綿のシーツを肌に感じながら幸せな気分いっぱいで眠りに就く真夏の夜が大好きなんだけど。

とは言え、まぁ、フランネルとふかふかの厚手の羽毛布団に包まって寝る冬の晩も、それはそれで幸せだったりする事に違いは無いのではあるけれど!

とにかく8月も下旬になると、涼しい、、、と言うよりは寒い朝晩の気温。

庭先のあちこちに植えられた白い紫陽花が薄桃色に、ほんのりと色付いて来るともう、それは秋の気配そのもので、何だか物哀しい気分になってしまう。

ふぅ〜。



季節の移り変わりに関係なく、日々は色んな出来事満載に過ぎて行き。

ブログを書き始めても想いはあちらこちらへそぞろで文章がまとまらない。

多分、もっとちょこちょこと気軽に手短かにアップすればいいんだろうけれど。




ここ最近一番の出来事としては、Davidが過去に何度か経験している腎臓結石を再発した事で、どうやらかなり大きいらしく緊急に処置して貰う運びになり。

切開する訳じゃ無いから「手術」では無いんだろうけれど、それでも病院の救急での受付に行って、全身麻酔でレーザーで石を砕くと言う計画だったんだけど、石が大き過ぎて尿管を塞いでる為に当初の計画通りに行かず。

別の専門医によって別の手順を施して貰う事になり。

患者の付き添いとして病院に同行すると、普段は余り縁の無い(有難いこと!←実感)病院とか医療の現場とか環境を体験する事になり、それはそれで興味深く。

目新しい事でも無いのではあるけれど、それでもやっぱり日本の医療(私の知っている20年も前の!)と比べてしまったり、カナダのそれとも比べて、アメリカならでは現状に感心させられてしまう場面は多い。

単純に医者と患者の関係とか、医療施設とかサービスとか。

どちらが良いとか悪いとか、優劣をつけるのは難しいけれど。

それぞれに一長一短あるので。

この間、私が体験した例で言えば、ちょっとした血液検査の為に私にとって初めて行く「血液の専門医」のところへ出掛けたんだけど、まず、アメリカには医者が沢山いる!ってのと、そして「専門」が細分化されていて色んな分野での「専門医」が豊富に揃ってるって事。

特に症状によっては、あちこち専門毎の医者に診て貰うのは面倒。

そして、初対面の専門医からの報告書を受け取る際、「お会い出来て光栄でした」の下りから文章が始まる点の社交辞令に、患者としての自分が相手の医師にとっていかに「大事なお客様」の一人であるかってのを感じさせられる。

アメリカの医療がビジネス+利益追及思考であると言う現実は、カナダとは全く異なるし、日本よりも?もっとあからさまな気がする。

営利主義のサービスだから、客(患者)に対する待遇がいいのは良しとして。

待ち時間が短いのはかなりの利点。




医療と別に私が興味深く体験してるのが自動車の運転免許の取得。

私がその昔、日本で教習所に通い講習を受けて、教習所内の自動車コースを、教習所所有の特別な車(ブレーキが2つ付いてる)で、教官に同乗して貰って何時間もの教習時間を経て、ようやく試験を受けてパスして免許を取得、、、って形式とは全く違い。

教習所内のコースで練習するって行程が一切なく、日本での「仮免」みたいなものが簡単に貰え、自家用車でいつでも一般道や高速道を運転して個人的に練習する(運転経験の長い成人=責任者に同乗して貰う条件付きだけど)って発想が何とも自由奔放な感じがして怖い。

日本より高速道が網羅していて、高速道に乗ったり降りたり、合流や車線変更が多いのは怖いし、だから日本みたいに、少なくとも「仮免中」とか「初心者」とか、周囲の運転者の注意を促したりするマークがあればいいのに、と思う。

飲酒運転だけでなく、大麻やドラッグでハイになった状況で運転してる人がいる可能性もあるし、精神障害を患っても莫大な医療費が捻出できず何ら治療を受けてない人も少なく無いし、更にそんな状態にあっても銃を携帯してる人もいると言うアメリカならではの土地柄に、過剰に神経質に心配性な私は無駄に神経を擦り減らしてる気がするんだけど。




そんなこんなで毎年恒例の STATE FAIRが始まりました MINNESOTA。

FINE ARTSのカテゴリーに応募して審査で選ばれなかったので、誰でも出展できる CREATIVE ACTIVITIESと言うカテゴリーに4つの作品を提出。

2つの一等賞(Blue Ribbons/ブルーリボン)と、1つの三等賞をそれぞれ3つの部門で受賞した模様。

どんな賞でも世間に認められるのは嬉しく、自己満足を満たしてくれる。

*2点セットの作品*


*金魚鉢を覗く猫の手提げ鞄*




2018年8月2日木曜日

8月葉月はづき

そして、あっと言う間に7月も終わり、既に8月に突入。

引越しの後の段ボール箱のほとんど全て(地下で Davidのポーカー・ルーム以外)をようやく空にする事が出来た。

色んな物が詰め込まれた段ボール箱があちこち無造作に積まれ、雑多で狭い雰囲気だったファミリールームが、「あら、こんなに広かったのね!」といい感じ♪

特にこれと言ってエキサイティングな出来事も無く、子供たち(とは言っても小・中学生じゃないから殆ど「オトナ」な彼等なんだけど)と共に気分は夏休みモードで、平和で静かな毎日を、大きな樹々と緑に囲まれた恵まれた住環境の新しい家に篭り気味に過ごしてる。

前回の家主の御主人が車椅子を使っていたらしいので、この家のあちこち、車椅子に配慮した改装が施されてるんだけど、だから主寝室のバスルームも仕切りの壁が無く、部屋の一角にトイレと洗面台とシャワーが都会のホテル仕様なデザインで備え付けてあり、段差も無く、透明な厚いガラスで囲まれてる。

ガラス越しに窓の外に広がる樹々の緑を眺めながらシャワーする時間は、開放感とリゾート感いっぱいで、この上なく自由で幸せな気分にさせられる。

取り立てて大袈裟な事がある訳でも無いのだけど、そんな風に密やかで小さな幸せがあちこちに散りばめられた、穏やかで幸せな毎日に感謝している。




以下、最近の作品集の記録。


*フランスのかぎ針編みデザイナー:Sophie Digard風
かぎ針編みとヴェルヴェットの花のネックレス*






*ブローチサイズでニードルフェルティングした猫の顔*



*ブローチには大きいかな?
と体を作ってぬいぐるみ風にして
襟巻きを編んで仕上げてみた*






*Rug Hooking/ラグフッキングの手法で作ったモチーフを
ヘリンボーンのウール生地を張ったキャンバスにコラージュ*




*世間で流行りの「塗り絵」風に
Trixieを Hooking/フッキングしてみた
(仕上げは未定)*


余談で、
Rug Hooking/ラグフッキングの手法は油絵と似ていて、色を塗り重ねるのと同様、色を何度でもフッキングし直す事ができる点での柔軟性とか即興性のある部分が個人的に気に入っている。

北米で歴史のある手法で、主に床敷きの為のラグとして作られるのが一般的。

多くの人が出来合いのパターンやデザインを購入してフッキングしたり(まさに塗り絵、って感じで)、絵柄が典型的で古めかしいデザインだったり、床に敷く為のラグばかりを目にする事が多くて、、、自分のやりたい方向性とは一線を画すると言う気持ちが強く。

だから世間的に自らのことを "Rug Hooker"(ラグをフッキングする人)と自称するのに激しい抵抗感がある、ってのが事実。

今後も引き続き、オリジナルのデザインにこだわって、床敷きラグに限定しない、伝統的では無い作品を作って行きたいと思ってる。

だからと言って、その先に何があるのか?自問自答して壁にぶつかる感じの閉塞感に落ち込んだりもするんだけど。

型破りで枠にはまらない作品に、年配のフッカーさん達から怪訝に眉をひそめられるような事があっても、気にする事なく自己満足の世界を極めて行こうと思う。うん。