2019年9月20日金曜日

思いがけずのプロジェクトに熱中

今週は夏日が復活。

日本への帰省が、サマーセールの時期に当たり大喜びで買い集めて来た夏服たちを、着る機会が無いままに秋を迎えてしまうのかと、残念に思ってたけれど要らぬ心配だった模様。

いかにも和風の生地で作られた服や、北米では売ってないような模様の安価なトップスを着て出掛ける度、多くの人達から褒められて悪く無い気分♪

贔屓にしているベーカリーで顔馴染みの店員さんは、私よりも若くてブロンドの髪と、はっきりとした目鼻立ちがとっても印象的な美人さんなのだけど、店に行き始めて直ぐの頃、私が指に複数しているシルバーの指輪を褒めてくれた。

先週は、私の服だけでなく着こなし全部を丸ごとべた褒めしてくれて、私の一日を良い気分にしてくれた。

最近の日本ではどうか?分らないけれど、北米では本当に気軽に人を褒め合う。

勿論、私自身もしょっちゅう色んな場面で色んな人々を褒めるのがすっかり身に付いてるけど、流石に。

申し訳ないと思うのは、人の顔は覚えても、名前がなかなか覚えられないって事。

特にヴォランティア先で短い会話を交わすフィリピン系の女性たちの名前。

私の名前はタガログ語での良い意味があるらしく、彼女たちが皆、私の名前を即座に覚えてくれて、親しみを込めて呼んでくれるんだけど、彼女たちの名前は割と個性的で、欧米で一般的な名前とも違ってる。

まぁ月に2回しか行かないから、って言い訳もあるけど。


Erikaがカナダへ引っ越してしまったのを機に、新しい気分の9月でもあるし、自分の気持ちの上でも生活の変化の節目を記念する意図で、家の中の片付けを始めた。

少し前、Netflixのシリーズで見た Marie Kondoの番組『Tidying up』を思い出しながら、そのメソッドは意識してるんだけど、でも断捨離はやっぱり難しい。

執着心、、、に囚われ過ぎてるから、ね。

自分でも解ってはいるんだけど。

モノに対する執着心とか執念とか?を解きほぐさないと。

懐かしい想い出の詰まったモノを記念に残して置きたい欲望は強い。

それでもエイッ!と気合いを入れて処分すると、それはそれで、まるで贅肉を落として身軽になったような錯覚の快感があったりするのも事実。

飽くまでも錯覚ではあるんだけど、不要な贅肉を落として身軽になったら、頭の中もスッキリして脳の機能がシャープになる気さえするから面白い。

自分にとっての不要なものと必要なものの見分けが出来るって事はつまり、明確な意識で判断力が冴えてる、って証拠だから、かな。

北米で断捨離する際の救いは、不用品を「処分」するとは言え、ゴミとして出してしまう訳では無く、"Goodwill"などに持参+寄附して、そこで店頭販売され、必要とする人達がいれば再利用して貰える可能性がある点。

自分にとって不用でも、誰かの役に立つ二度目のチャンスがあるかも知れないと思うと、手放す罪悪感から救われる。

9月いっぱいを目処に、家の中をかなりスッキリと、整理整頓を目指したい。


暑さが戻ったとは言え、9月も後半なので、文字通り "Fall"(秋)で樹々が少しずつ、その葉を落としつつあって、季節の変わり目を目の当たりにしてる。

カナダやミネソタの湿度の低い夏が大好きなので、身軽に自由で開放的な季節が去ってしまうのは哀しい。

秋は秋で素敵な季節だけど、何よりも短か過ぎるから、これまた哀しい。

でも気温が下がった途端、紅茶を欲するし、凄く美味しく感じるから、色んな種類を揃えて気分で選んで淹れる楽しみがあるってのは嬉しい。

定番、「秋の夜長」に読む本も日本で仕入れて来た。

私にとっての新しい日本語本との出逢いは、たまたまヴィザの関係で飛行機に乗せて貰えず、実家に逆戻りし意気消沈の日々のさなか。

母が点けていたテレビの前を横切ったら『徹子の部屋』をやっていて、あら〜♪徹子さん懐かしい〜!「ゲストは誰かしら?」なんて足を止めて見た際。

会話の内容がとーっても興味深く、思わず聴き入ってしまった黒川伊保子女史。

そもそも日本人にとっての外国語だとか、他言語を習得する学習だとか、多言語を扱う人々の文化的な背景だとか、そういう人々の頭の中がどうなってるのか?みたいな事にヒジョーに興味があるんだけど。

彼女が話す、言葉と音感と脳の関係、みたいな内容の事について興味津々、本を読んでみたい強い欲求が湧いたのが始まり。

地元の大型書店で手始めに単行本を2冊購入。

読み始めたら更に興味が湧いたのでアマゾンで複数冊を注文。

日本の単行本って、コンパクトで安価で紙質と印刷が素晴らしく高品質で、本当に感心+感動してしまうくらいの優れモノ。

読み足りなくて、アメリカに帰ってから、日本のアマゾンで更に追加の1冊をポチッと注文してしまったくらい。

航空便だし、勿論、送料は掛かるけれど、誰の手を煩わせる事なく日本から速攻、送って貰えるだけで本当に便利で有難いと思う。


Textile Centerでの手作業のグループに復活して直ぐに、織物のギルド主催で小規模のガレージセールがあり、毛糸はもう既に沢山あり過ぎるほど持っているので要らないと思いながらも、仲間があれこれ私の好きそうな?糸を見つける度、私に手渡してくれて、面白そうな素材感の糸だったりするものだから、つい買ってしまう、と言うオチ。

まるで絵の具みたいに、自分が未だ持ってない色の糸を見ると、その可能性を連想して、欲しくなってしまう。

その糸独自の色合いや素材感で、どんな触発されるか?可能性は計り知れない。


もの凄く安い値段が付けられてた、この黄色い糸を買った理由は、、、。

色合いがサフラン色で、縮れ具合の感じがご飯、しかも少しだけ撚り混じりに入ったみかん色がニンジンを連想させて、これはもう、炊き込みのサフランライスを作るしかないンじゃない!?と思ったから。

どうせサフランライスを作るのならば、具材を乗せてパエリアにしちゃえ!

ってので、手持ちの糸と編み具合を駆使。

手長海老、ムール貝、レモン、海老、タコ、イカ、ピーマン(緑と赤)を次々、夢中で作り。


アクセントにどうしてもグリーンピースを乗せたくて、グリーンピースに見える色合いとサイズのガラスのビーズを探し求めた。

Etsyだと、写真そのものや画面によって色合いが違うし、何しろ実際の大きさの感覚が掴み難い、、、直径9ミリとか言われても、う〜んって感じでピンと来ないし、何より、注文してから3〜4日程度は待たなくてはならない。

気長に待てない私は、「グリーンピースそっくりに見えるガラスのビーズ」を探しに、即座に地元の大型手芸店巡り。

実際、本来のパエリアにグリーンピースが入ってるかどうか?知らないけど。

私のパエリアにはどうしても必要な気がした。


無事に完成し、満足、自己完結。

作ったけど、これをどうするつもり?ってのはまるで無い。

帽子とかに作り上げて被って人気者になってる人が既にオーストラリアにいる("Chiliphilly"と言う名の男性でインスタ人気)ので、二番煎じ。

私が作るものって、ほんっと何の役にも立たないモノばっかりなのよねぇ〜。



2019年9月7日土曜日

涙目で迎えた9月

日本から戻って、かれこれ3週間以上が経過したのを昨日、再認識した。

年に一度のマモグラムに行って、クリニックの受付で「過去3週間以内に海外を旅行したかどうか?」確認されたから。

「えっと。。。」と咄嗟に頭の中にカレンダーを思い浮かべて "No"と答えた。


この3週間は未だ何となく「ふわふわ」した感覚の日常で、完全には自分のペースに戻ってないような気がしてる。

まずは時差の関係で時差ぼけ、、、は、実は割と直ぐに現地時間に体が対応して、自分でも驚いたのではあったけれど、ほぼ翌日から普通の生活リズムだった。

若い頃、海外旅行から帰国した翌日から出勤、なんて事を苦とも思わずに平気でしてた頃の自分を懐かしく思い出す度、「今はもう無理」と思ってたけれど、実は意外と大丈夫なのかも?なんて思うくらい。


体にとってショックだったのは気候のギャップで、想像はしていたものの、「夏が(私を待たずに)終わってしまった」感じに既に寒い日々が続き、慌てて冬用のパジャマや、アクリルの毛布を引っ張り出して来て、「もう冬なのかい!?」みたいな切なさに意気消沈。

その後、気温が持ち直して夏の終わりの暖かさに戻ったけれど。

*夏の間中で白い紫陽花が少しずつ珊瑚色に染まり始める*


週に一度顔を出している Textile Centerでの手仕事のグループに久し振りに戻り、見慣れた仲間たちの笑顔や抱擁で迎えられて嬉しく、私は日本からの手土産をシェアしたり、日本で購入した手作り本を披露して廻ったり。

3週間延長して日本に滞在した理由と体験談で盛り上がったり。

仲間うちの多くが頻繁に海外旅行(アジア、北欧、アフリカなど)をする人ばかりなので、アメリカ人の視点での彼女たち自身の外国VISA問題、(政治絡みでの)入国審査状況、体験談等々を聴くのもかなり興味深く面白かった。

 *羽田空港で見つけた海外へのお土産にぴったりな箱入りチョコレート*



アメリカに戻れない間でお休みしていたヴォランティアにも復帰。

基本的には、「老人施設内のギフトショップの運営」が仕事なので、当番の日は単独で店を開け、レジの開け閉めと店番(顧客サービス)とちょっとした掃除と雑用だけをすれば良く、合間に隣接のカフェテリアに無料の昼食を取りに行って、学校給食風な料理を食べるのを密かな楽しみにしてるんだけど。

いつの間にか私の仕事内容がアップグレードしてて、店内のディスプレイ・コーディネーターとかショーケース・アドヴァイザーとか、みたいになってる。

たまの当番で行ってみると責任者:リズから手書きのメモと、空になったガラスケースが私を待ち受けてて、「好きなように商品で飾ってみて!」てのが続いた。

 *レジカウンターのディスプレイケースは綺麗に空になってて、
 "Saved for Mayumi"のメモがあるのには笑ってしまった*


店頭を飾る仕事は好きなので、全く苦でもなく、楽しんでやってしまって喜んで貰えるのだから、まさに "Win&Win"。

*秋のテーマでゆっくりな時間を意識して、
時計とお茶(ティーポット)と読書(本+老眼鏡)と
スロークッキングの料理本などをかぼちゃの置物と共に*


施設内のお年寄りと交流すること自体は、私にとっては自分自身の両親と身近で関わり合う事の出来ない償いのような気がしてるんだけど。

とは言え、よくよく振り返って見ると、過去の5年間で一度も日本に帰省してなかった現実は何とも親不孝だったのではないか、と自責の念に駆られている。


アメリカに引っ越してからの日々は本当に夢のように過ぎてしまった。

期間限定で仕事に就いた Davidの滞在ステイタスが何度も変わり、それに伴って私自身のVISAも影響を受け、アメリカへの出入国に対して神経質になっていた事実も理由の一つで、だから車での移動以外ではカナダへも帰省してなかったりする現実。

日本国籍を維持しつつ、カナダの永住権を取得しているものの、カナダ国内には暮らしてないので、今はカナダへの渡航にも特別な許可証を要する、ってのが面倒。

これ程テクノロジーが進化した時代に、今更ながらに各種ドキュメントを複数頁の紙に印刷したものを、政府機関に郵便で送付しなければならないと言う残念さ。

既に提出済みの情報や、全ての指の指紋や、空港での顔識別写真に加え、瞳での識別などで近未来的に、2カ国間での移動がもっと単純でスムーズになれば良いのに。

最近では珍しくもないと思われる国際結婚が未だに「面倒で厄介な事」みたいに感じる場面が時々あるのは、ちょっと時代錯誤で意外な感じさえする。

多重国籍を認めない国が日本以外にも結構あるんだなぁ〜って驚きと共に。


アメリカに戻り、出来るだけ早く日常の生活に戻るよう意識したものの、多少の「逆カルチャーショック」みたいなものは少しだけあった気がする。

日本での滞在が長ければ長い程、日本での習慣や感覚が再び身に付いてしまうのは仕方の無い事なのかも知れないけれど。

人との距離感とか、咄嗟の返事とか、まぁ微妙な違いではあるんだけど。


日本で楽しかった日々の夢から醒めるみたいに少しずつ、日常の生活に戻りつつあった2週間目に、空港で Davidと共に Erikaをカナダへと見送った。

一時は、アメリカに帰れないまま日本でこの日を迎えるかも?と絶望的に落ち込んでたのを考えれば、家族4人での暮らしを最後に2週間じっくりと過ごし、心の準備をしながら締めくくれた事は、私にとっては幸運な事でもあり感謝している。

以前にも3週間程度でカナダへ行く Erikaを空港で Davidと見送った事があって、当時の彼女は17歳だったから、別の意味での不安や心細さがあって涙目だったけれど、今回は20歳になった彼女が自立する為の別れで、多分もう家族として4人で暮らすことは無いんだろうと思うと、その事実だけで涙目になってしまうのだった。

彼女の独り立ちを祝うハッピーな別れのはず、ではあるのだけど。

世間で一般的に言われる "Empty Nest Syndrome"(空の巣症候群)ってやつ。

ぽっかりと胸に穴が空いてしまった感じ?


多分、自分的には、予期した程には酷くない、とは思うのだけど。

それでも、Erikaの居ない空間を目にすると寂しい気持ちになる。

彼女の部屋や、夕食時の食卓での彼女の定位置の椅子や、デッキで一緒に珈琲を飲む際のガラスのテーブルの向こう側の椅子や、あちこち。

*目の前の椅子には Erikaが座ってるはずだったのに*


家族の中で珈琲を飲むのは再び私だけになってしまった!

「今日はどんな珈琲を淹れる気分?」と訊く相手もいないから、コナでもコロンビアンでもティミーズでも、もう勝手に淹れて勝手に飲むわ、ってな気分。

スーパーマーケットに食材の買い出しに出掛ければ、手に取った食材を(あ、Erikaがいないからもう食べないや)と元に戻したり、(Erikaがいないと食べきれないから)と買うのを躊躇ったり。

反面、菜食主義の彼女がいないので、久々に魚介のパスタやソーセージのパスタを作って食べてみたり。

そこかしこに何とはなくの寂しさを感じながらも、新しい食習慣と生活リズムに順応しつつある。


何よりも、Erika自身は再び自国であるカナダで暮らす事が出来て嬉しそうだし、彼女にとって初めて暮らす土地であるオタワの街の魅力を満喫してる様子で安心した。

当初は大学の寮に入ることを希望してたのだけど、早くに満室になってしまったらしく、市バスで20分程度で通学する事の出来る範囲内でのコンドミニアムで、別のカナダ人の学生の女の子とそれぞれ個別の部屋を使えるルームメイトを、Erika自身が自分で見つけた。

ルームメイトのお父さんがコンドミニアムの所有者と言うのも安心なところで。

既に学生証を取得し、バスの定期券も入手、授業も始まり、銀行口座の開設も済ませ、パートタイムで働ける仕事を見つける為の履歴書も作って幾つかの候補先に送り始めてるらしい、、、と言う彼女の逞しさに正直、圧倒されてる。

改めて、彼女にとっては文字通り満を持しての自立のタイミングだったのだと。

来年は Kaitoの番だけど、うーん、ちと心配。と言うか、かなり心配。


夏の終わりはそれだけで切なくて物悲しい季節だけど、今年のそれは更に輪をかけて心に隙間の空いた感じで隙間風が時折、吹き抜けてる。

なので手仕事の方もすっかり気が乗らずお休み中。

日本での6週間、ほとんど何もしてなかったので、その延長で手仕事から遠去かり、果たしてどれくらいの期間で禁断症状が出るか?試してみたいような気もしてる。

自虐的に、意味も無く自分への挑戦みたいな? ほんと何の意味も無いケド。


あぁ、あとは余談で、ここ数日、何故か目が痒くてショボショボ。

秋の花粉のせいか?はたまたジムで泳いだプールの水質のせいか?謎。