2019年8月18日日曜日

アメリカ入国は決して "Welcome!"じゃない、の巻

ようやくアメリカの自宅に帰れました!

当初の予定では3週間前に戻ってるはずでしたが。

日本で3週間滞在した後、梅雨が明ける直前に出国する予定でした。

多少の小雨が降っても構わないから、梅雨明け後の猛暑+酷暑は避けたかった。

例年よりも長い梅雨時期に「しめしめ」とほくそ笑んでいたし、避暑地である軽井沢に行った際には「避暑」を超えて寒いくらいで、この日に限って靴下を履いていた事をラッキー♪に思ったりしてた。

とにかく、夢のように楽しい事ばかりの3週間を終えて何の悔いも残さず、梅雨明け間近の日本に別れを告げて、さっさと飛行機に乗るはずだった。

前の晩、デルタ航空からの e-mailで、オンラインでのチェックインを済ませるよう促された際、難なく出来た Erikaに反して、私のチェックインはオンラインで出来ないので、直接カウンターに行くよう指示された。

不審に思い、デルタに電話して24時間サービスの窓口で問い合わせたものの、担当の女性からも同様に、空港のデルタ・カウンターで問い合わせるよう言われた。

何となく嫌な予感を抱きつつ、翌日の出発日にはホテルのチェックアウトを済ませ、タクシーを呼んで貰って羽田空港に向かった。

空港に着いて直ぐに、セルフサービスのチェックインの機械でも手続き不可。

いよいよ不安な気持ちが高まる中、ようやく開いたデルタ空港のチェックイン・カウンターへ行くと、係の日本女性が感じ良く対応してくれたのではあるけれど、どうやら私のビザに不備がある、と言う事らしく、けれど馴染みのある問題で無いので、確認をする為、あちこち(時間的に業務している)のアメリカ大使館に電話で問い合わせ。

ようやく繋がって回答が得られたのはハワイの移民局か何かしらで、それによると私は「新しいビザ」を取得しなければ飛行機に乗せて貰えない、と言うものだった。

飛行機に乗る事自体かなりのストレスなのに、乗る気満々の頂点で乗れない事が判明した時のショックは言葉に出来ない程の絶望感で、生まれて初めての体験。

カナダ人の Davidがアメリカで就業する事の出来るビザ H-1Bで、その配偶者である私のビザが H-4。

私が持っていて、2020年の9月まで有効なのは「滞在許可」で、けれどそこには、"US-VISIT  MULTIPLE"と印字されてるものだから、"Multiple"=何度でも出入国出来るのかと(勝手に)解釈してた。

しかーし。

結論として、在日アメリカ大使館にて新たなビザを入手が必須と判明。

今回の反省:
(David自身は勤務先に移民専門の業務をする弁護士団がいて必要に応じて手続きをするのだけれど、私は配偶者でオマケみたいなものだからしてビザに対する認識が甘かった)

*汗だくで向かったアメリカ大使館(正面建物)*


その時点では、一体どれくらいの時間を要するのか?見当も付かず、ひょっとして私は秋の収穫祭くらいまでアメリカに帰る事が出来ないのかも?とお先真っ暗。

気分はどん底マックス。

とにかくビザの申請をしなくては!ってので、そこからスタート。

手順は以下の通り。

その1:アメリカ大使館のサイトからオンラインでビザの申請をする

その2:ビザ申請手続の代金を支払う

その3:アメリカ大使館での面接の予約をする

その4:大使館にての面接に出向く

その5:面接終了後に置いてきたパスポートが郵送されるのを待つ

その6:書留で返送されたパスポートを受け取り、航空券を手配する

こんな感じで。

オンラインで申請する書類には記入する情報が多いし、顔写真も撮って適正なクロップ+貼り付けしたり、時々エラーになるので、頁を戻ったり、冷や冷やしながら実に3時間かそれ以上の時間を要しました。

代金の支払いはクレジットカードで容易に完了。

面接の予約は7月27日(土)の時点で最短が8月1日(木)だった。

面接の当日は新幹線で東京、山手線で新橋、そこからタクシーで5分程度だったけれど、時間が早かったので15分以上掛けて歩いた。

到着したら建物の外まで順番待ちの列が出来ていて、炎天下で暑かったし。

書類受付から指紋の登録、実際の面接にこぎ着けるのに列に並んで立って1時間程度の間、貧血で倒れるかも?と思うくらい混雑だったのは夏期限定なのかどうか。

面接は、予め必要と思われる(主に Davidに関する:就業先、パスポート、婚姻証明など)書類のコピーを漏れ無く用意した事もあり、幾つかの単純な質問を確認された程度でスムーズに終了してホッとしました。

4〜5個ある窓口の面接官のうち日本人らしい1名と、それ以外の異国籍と思われる官員の全てが英語と日本語のどちらも話せる様子だったから、きっと殆どの申請者に対応する事が出来るのだろうと想像する。

実家に戻った後、無事にパスポートが郵送されて来るか?ちょっとだけ心配しながら待つこと6日間。

面接の翌週、水曜日に郵便配達員さんが玄関まで届けてくれて手渡してくれたのだけれど、そのタイミングが本当にラッキーで、私が外出する直前だった。

私が外出した後は、実家に両親が揃っていたとしても、母は玄関まで歩けないし、父は耳が遠くて玄関のチャイムが聞こえないから出られない。。。ので。

新しいビザが立派に印字されたパスポートを片手に、ようやく航空券の手配!

懸念は、日本にはお盆休暇と言うものがあって、それでなくてもハイシーズンの夏が「超ハイシーズン」で航空券代がうなぎ上りかも!?ってのと、あとは連発する台風とその進路によって飛行機の運航に影響が出るかも!?ってこと。

北米と日本との間の往復はかれこれ過去20年以上に渡って何度もしてるとは言え、航空券の変更+取り直しは、これまで経験した事が無く。

一体どれだけべらぼうな払い直しをしなければならないのか?真っ青。
(チケットの変更代は300ドルで、+運賃の差額らしい)

予めデルタ航空の運賃カレンダーで確認すると、8月10日出発の便が値段のピークで片道で2200ドル程度。

それは無理。。。ってので、日本国内のデルタ航空に電話して13日(火)と14日(水)の運賃の算出をお願いしたら、14日発の便の方が250ドル安いし、残席数も多め、と言うので、それでお願い、、、と言い掛けたら、

「当初の "comfort+/コンフォート・プラス"(普通の座席よりも多少ゆとりがあるタイプで100ドルちょっと値段が高い)と変わらないお値段で "premium select/プレミアム・セレクト"(定価だと5000ドルするらしいビジネスクラス?)をご用意出来ますが、如何なさいますか?」

と言うので、悩む間も無く

「は、はい! それでお願いしますっ!」

と答えてた。

帰りはキャリーオンの小さなスーツケースに加え、チェックインする予定の大き目スーツケースが2つあるので、地元から羽田空港まで直行で行ける高速バスの予約も。

オンラインで予約後、最寄りのコンビニエンス・ストアの端末で、プリントアウトしたものをレジで精算して実際のチケットを入手、と言う素晴らしいシステム。

航空券の手配が済んだ後は、文字通り、ようやく家に帰れる目処が付いたので、それまでの暗澹とした先の見えない不安とストレスから解放された。

結局、本来帰るはずだった7月25日(木)から、ほぼ3週間後の8月14日(水)に無事に羽田を飛び立ち、時差の都合で同日ミネアポリスに到着。

めでたし、めでたし。

*プレミアム・セレクトの食事はコンフォート・プラスよりも豪華!*


追記での備忘録として。

<スーツケース>

長年で愛用した大きなスーツケース(ソフトタイプ)は日本に到着した時点で、4つのキャスターのうち一つが完全に取り壊れて紛失してた。

3つしか無いキャスターでは自立するのも不可能で、そんなスーツケースをガラガラと転がしてモノレールに乗って都内のホテルに向かうのは苦労だった。

最終的にそのスーツケースを諦め、実家で父(黒)と母(ピンク)のハードタイプで小型のスーツケースを譲り受ける事が出来て助かった。

航空会社の重量制限23kgにぎりぎり抑えて帰国。


<羽田空港>

搭乗ゲートに向かうまでの時間があったので、最後にもう一度、と思い空港内のレストランでラーメンを食べる事にして、混み合ったエリアでようやく空いた席をゲットして座り食べ始めたら、

「同席しても良いですか?」

と見知らぬ女性に声を掛けられ、勿論、どうぞどうぞ♪と一緒にラーメンを啜る事になったのでお喋りしてみたら、思いの外、話が弾んでビックリした。

台湾出身の彼女と英語での会話だったのだけど、旦那さんが日本人で、しかも苗字が私と同じだったり! カナダにも住んだ事があるらしかったり!

「袖擦り合うも多生の縁」みたいな事を改めて感じてしまった。

*羽田空港で食べた醤油豚骨ラーメン*



<ミネアポリス空港の入国審査>

全てスムーズだった羽田空港と一転。

意地悪な審査官に当たってしまい、と言うか多分その殆どが意地悪なのだろうと想像するけれど、必要ないはずの書類を見せるよう要求されて、それが無ければ入国させない、とか、日本へ送り返すと脅かされた。

結局、反論しない事に決めて、普段は滅多に使うことの無い "Sir"を用い。

真摯な態度を示したら、何の事もなく結局は通過させてくれた。

あの悪態と脅しはいったい何だったの?ってくらい。

あとで聞いたら、一足先に帰国してた Erikaもそんな風な扱いを受けたらしい。

カナダに国境を接するミネソタ州は私にとってある意味、カナダの延長的な土壌で、人々の頭も冷静(アメリカ国内でも北に位置するから)だし、文化的にも芸術的にも豊かでフレンドリーな人々の多い環境にどっぷりと浸かってたから、余り「アメリカ在住」を意識する場面も無く、至極快適に平和に暮らして来たのではあるけれど。

今回、改めて、この国に手放しで歓迎されてる訳では無い現実を思い知らされた気がする。ちょっと複雑な想い。