*計4ページに渡って被害の深刻さを報道するThe Gazette*
思った通り衝撃的な写真も沢山入れて、かなりの紙面を割いての報道だったことからも世界中に与えたインパクトの大きさが計り知れる。
その証拠に、今日(土曜日なのに!)の午後廻って来たErikaの学校からの「回覧板」的メールでは、早速、被害のあった日本を支援する為のカナダ赤十字へ寄附する募金集めのイベント企画を提案していてビックリした。
(私の反応:へ?こんな小さな町の小学校でも!?って感じの驚き)
話はちょっと逸れて、今週の木曜日の晩はNewcomers' Clubの月例会があって、予定ではプロのゲストスピーカーを招いて「Cake Decoration」の実演&講習で楽しみにしてたんだけど、プレゼンターが個人的事情で来られなくなり、敢えなく「Craft Night」に変更で内心がっかり。
Sharleen(今年度の会長)とIsabelleがそれぞれ持ち寄った材料を使っての「Jewelry Making」と「Greeting Cards Making」(ちょっと「scrapbooking」的な)を体験。
*限定された素材の中から私が作ったイヤリング*
(日本人代表@寿司のイメージって感じかな?)
まぁ、それはいいとして、新しい顔ぶれのメンバーも何人かいて、私にとって初対面のメンバー達に挨拶を交わしつつお喋りする中で
「何処から来たの?」
ってのは通例の会話パターンで、
「カナダで生まれ育ったけれど、最近までスイスで暮らしてたの。」
とMichelle(←スペル怪しい)が言えば、
「あら! Maja(マヤ)がスイス出身なはずよ!」
とか、
別の女性(名前忘れた)が
「夫の転勤でアメリカから来たの。」
と言うのを聞けば、
「じゃあ、HeidiとSuzanneと一緒ね。彼女たちもアメリカ人よ。」
ってな会話が展開。
なので同様に、私と交流のある彼女たちにとって何かしら「日本」に関連する話題がのぼれば、多分、彼女らの脳裏には自然と「Mayumi!」(←つまり私)ってのが浮かぶんだろうなぁ、ってのを改めて実感した木曜日。
そんなタイミングで迎えた翌朝、日本での地震のニュースが世界中を駆け巡ってた。
そして、本当に思い掛けなかったんだけど、沢山の色んな人たちからメールや電話を貰って心を動かされた。
「日本の家族の無事を祈ってます」と言うのをはじめ、想像を絶する状況の映像を目にして動揺している様子、そして、私の故郷が受けた絶大な被害に対する温かいお見舞いや励ましの言葉などなど。
改めて、色んな人々の脳裏の隅っこに「私」という存在を住まわせて貰ってる現実に対する有り難みを感じると共に、私と関わる多くの人々にとって「日本=Mayumi」って図式が存在する重さみたいなものを感じて、「あぁ私、ニッポン代表なんだ」。
少なくとも私を取り巻くこの界隈での、小さなコミュニティの世界の中で私は、やっぱり日本人代表なんだなぁ、ってのをしみじみと実感させられた。
そして、それは私自身の話だけでは終わらず、、、。
学校から帰って来た子供たちが
「今日、学校で『日本の親戚は大丈夫?』って皆に訊かれたよ。」
とか言うので更にビックリした。
国際色豊かなこの国で、多国籍の子供たちに混じってほとんど「Canadian」として育ってるうちの子供たちではあるにも拘らず。
しかも周辺の子供たちだって、いつも皆まるで「国籍」とか「人種」とかお構いナシっ!て感じで無邪気に交わって一緒に遊んだりしてるから、うちの子供たちが半分「日本人」なんて事実はまるで重要じゃないし特に興味も無いから、いちいち認識してないかと思ってたし。
この国で暮らしてると、余りにも自由で何でもアリだから、自分の年齢は勿論、人種とか国籍とか、つい忘れてしまいそうになるのよね。
Erikaなんか特にカナダで産まれ育ってるから、生活も教育も友達関係も、殆ど全ての観点から見て「ほぼカナダ人」の要素しか無いし。
にも拘らず、こうしていざ蓋を開けてみると?例え半分でも彼等の中に混じってる日本人としてのアイデンティティはしっかり、(例え子供同士の間でも)周囲の人々から認識&尊重されるんだなぁ、と言う新鮮な驚き。
何処で生まれ育っても、そして、当人たちが意識する、しないに拘らず、「血」という部分でうちの子供たちは今後もずっと彼等の生涯に渡って、多少なりともの「日本代表」的な「看板」を背負って行くんだろうという現実を、今週、改めて真摯な気持ちで再認識させられてる。そんな感じ。
0 件のコメント:
コメントを投稿