のんびりとぐーたら過ごしたお正月休みもいよいよお終い。
子供たちは2週間振りに明日から学校だし。
日本の父は80歳の誕生日を迎え、お祝いの電話を入れて久し振りにちょっとだけお喋りしたり。
何だか私の日常には関係なく、しっかりと時間は規則正しく経過していることを実感したり。
幸運にも、自分の両親と義理の両親と2セットで合計4人のシニアが身近に、元気に過ごしてはいるけれど、でも確実に老いていることを考えると、今後、近い将来で4回も哀しい思いをしなければないない時がやって来る現実は避けられないんだなぁ〜、なんて漠然と考えると何だか取り留めの無い喪失感とか不安感とかに襲われたりして。
あ、でも、別に必ずしも年功序列に決まってるって訳じゃないケド。
幸福にも、随分と長い間で自分の身近な人の死と言うものに直面してないので、そういう現実に対する免疫力がかなり低下してる気がして、怖い。
ある意味、自分の両親は不死身、、、って言うか、ずっと「その辺」に永遠にいるような錯覚を持ち続けてる気がする。
まるで根拠のない思い込みではあるけれど。
自分の父親が「80歳」って、考えると余りにも非現実的で。
なんで勝手に独りでそんな歳取ってんのよ?みたいな。
あたかも自分自身は永遠の20代で時計の針が止まったままの錯覚で、私は相変わらず反抗的で手の掛かる我が侭な娘のままなのに、何で父親だけそんなオジーさんになっちゃってんの?
普段、認識してない無意識の自分を、周辺の人によって(その比較対象によって)改めて再認識させられるって感じの瞬間かな。
私もしっかりオバさんになるわけよねぇ。。。ってな具合に。
2 件のコメント:
遅ればせながら、お父様の80歳のお誕生日おめでとうございます!電話、きっと喜ばれたでしょうね~♪
Mayumiさんの親御さん4人に対して思う気持ち凄くよくわかりますよ。というのも、自分があれだけ主人の方の両親を次々と看取って、「次は、自分の親の番だ。覚悟もしとかなきゃ」と思ってたくせに、今なんかはまた、「いつまでも、あんな風にトボトボしててもその辺に永遠にいてくれるよね。」とか思ってしまうんですから。
不思議ですよね~。でも、それが正直な子どもの側からの気持ちですよね。
我が家は、「家でゆっくりするのが一番」という両親でして。
だから、結局皆さんが、「親とこの前、温泉に行ってたの」とか、「旅行に行ってきて喜んだの」とか話してるのを聴くと「ん。。。あたしって、親孝行ってしてあげてないんだよな~。」とかちょっとブルーになったりするんですよね。でも、そこは生来の踏ん切りの良さで、「ま、でも家がいいって言うんだから家でゆっくりして、庭を楽しみに眺められるようにでもするか~」みたいに、自分のスイッチを切り替えて自分を救うみたいな(笑)
Mayumiさんは、遠い地で素敵な家族を築いて
幸せにやってるんですから、それが親孝行だし、親御さんも誇りに思ってると思いますよ。
また、季節のいい時期にお里帰りできるといいですね。
まゆみさん♪
ありがとうございます。
とは言え、電話で話しが遠くて(笑)ちょっとしたボケも加わって、おまけに父の方言も強くて、割りと会話が噛み合ない部分も多かったりするんですけどね。(笑
親と子供の関係って微妙ですよね。
どんなに年を取っても、やっぱり変らない関係の部分は大きいし、積み重ねた歴史の重みもあるし、身近過ぎて素直に表現できない感情もあるし。
まぁそんな現実を色々と考慮した上での結論は、いずれにしろ「後悔したくない」ってことではあるんですが。
たまたま最近、フィギュアスケートの浅田真央さんがカナダに滞在中にお母さんを亡くされましたが、日本人にとっての「親の死に目に会う」執念のようなものを再認識させられる気がしました。
私には、物理的/地理的な距離から難しい現実がありますが。
その点、まゆみさんの場合にはお近くにお住まいで、何気ない日常の日々の中にお互いが存在し合う構図は、本当に羨ましく、最高の親孝行をなされている気がします。
どんなに高価な贈り物よりも、本人が一番欲するものを与えられたら、それが一番かと思いますし。
いつも夏期限定での帰省なので、たまには秋や春の日本も楽しみたいンですけどねぇ〜。(笑
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