昨日は金曜日で、晩にColleenの家での”Martini Party”に誘われてたんだけど、割りと早いうちに行かないと決めて連絡しておいた。
私はつくづく社交的では無いんじゃないかと思う。
カクテルパーティへ行く代わりに私がしたのは、午後からの庭仕事と、そして家族で夕食の後、夜は録画しておいた映画をパジャマで毛布にくるまって観ること。
外に出ず、誰にも会わず、家で静かに自分の好きな事をして過ごすだけでも平気で1週間くらい(或はそれ以上)生きられる気がする。
映画は、今頃になって初めて観た「マディソン郡の橋」。
何故か勝手に”大人のプラトニックな恋愛ドラマ”と思い込んでいたので、ちょっと違った。
あれはやっぱり女性にとっての永遠のテーマであって、平穏な結婚生活と、欲情的な恋愛(肉体)関係と、どちらを選ぶのか?はまさに究極的な選択。
はっきりしてるのは、例えその時点では劇的な恋愛を選択したとしても、一緒に暮らしてしまうと情熱はいずれ「生活」に支配され惰性へと変わってしまうのは時間の問題だろうということ。
それは、まるで履き古した靴下みたいに。
洗濯した後のDavidの靴下の山の中から、それぞれ最も似通った2つを選んでペアにして折り畳む作業は”生活”そのもの。
特にその靴下が全て同じ色、デザインだったりするし。
(お洒落コンシャスな日本と違って、北米の生活では下着とか靴下とかの”必需品”はデザインのこだわりよりも機能重視なので、気に入ったブランドのアイテムを常にまとめて1ダースとか2ダースとかで購入し使い続けることが多い)
箪笥の引き出しを開ける時、同じ色と形をした下着や靴下たちがお行儀良く整然と並んでいる日常を保つことが私のプライドだとしても、まぁ、それはそれで。
その他愛の無い日常の生活に見合う、何か目には見えない報酬との均衡が、今はとれてるんだろう。
昔、デミ・ムーアとの幸せな結婚生活を送っている頃のブルース・ウィリスが「結婚生活を維持することは、庭仕事に似ている」みたいな事を言ったらしいけれど、それは本当に的を得ていると思う。
雑草の無い手入れの行き届いた綺麗な庭を維持するのって、それは大変だもの。
まぁ同時に、無心で没頭できる庭仕事は、私にとっての”禅”のようなものでもあるんだけど。。。
4 件のコメント:
うーん、考えさせられますね。
私も自分自身の靴下をランドルマットで洗うときに、ペアを見つける作業をします。
と、いうことは、一人でも二人でも、「生活」はあるわけなんですよね。
「結婚生活」というのは、「生活」の上位にあるものなのかな、と思ったり。
とは言っても、オンナ心は、さっぱりわかりませんが。。。
てか、私、ここにコメントしてもいいんでしょうか・・
tech1さん、こんにちは。(笑
勿論!
気が向いた際にはいつでも気軽にコメントして下さいな♪
自分の意に拘らず繰り返し行う日々の作業は全て「生活」そのものな気がします。
「結婚生活」と「夫婦生活」(笑)はどちらも微妙な関係ですよねー。
オンナ心は、、、野生動物みたいなものですね。
ワイルドで予測不可能でパターン化してなくて。
Grrrrrrr。(笑
自分も、靴下は5足おいくら的な物を買い上げます。
しかも黒限定で。
同じ作業をしている人は国境を越えてナン万人といるんでしょうね。
『一緒に区暮らしてしまうと情熱はいずれ生活に支配されてしまい惰性へと変わってしまう』
もしも、その生活に自分たちの子供がいなかったら
また違った生活になるのでしょうか。
家庭という大きな物を作る為に犠牲になってしまう物を
惜しいと思う反面、作られていく時間を安らぎと捉える。
誰かとともに生きるなら情熱だけでは
前に進まないということでしょうか。
結婚というルールがある限り
果たされない謎でしょうね。
と、結婚していない自分が言っている(笑)
我が儘な自分には難しい世界ぃ〜〜。
マーチン君
私の勝手なイメージだけど、
でも、
「5足おいくら」の靴下であっても、
日本のデパートとかだとお洒落なデザインのものが揃ってるから、つい”色違い”とか”柄違い”とか買いたくなりません?
だから、
洗濯の後のペア探しが簡単で助かる、みたいな。(笑
確かに、結婚生活の中に子供が加わるとそのリズムは変わって来ますよね〜、実際。
「結婚」という枠組みに縛られる感じがある反面、それによって感じる「安定」があるのも事実だし。
まぁ、色んな相対するものは意外といつも”紙一重”的にピッタリと背中合わせだったりするんでしょうね。
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