2011年6月9日木曜日

お悔やみのページ

新聞の"Obituaries"に目を通すのは結構、色んな意味で考えさせられる部分があったりして、まぁ「楽しみ」とは言わないまでも、私にとって密やかな意義を持った習慣になっている。

他界したばかりの見ず知らずの人々の顔写真を眺めながら、生年月日から計算した年数での故人の人生が果たしてどんなものであったのか?想いを馳せたり、喪主との間柄や、コメントを読むことで、見知らぬ人の人生にちょっとだけ触れる感じ。

そして、改めて自分の人生について振り返って見る。

あぁ、取り敢えず私はまだ生きている。

まだ生かされているんだと思うことで、新聞のお悔やみページに記載された人々の分まで、しっかりと有り難く生きないとイケナイなぁ〜と、ちょっとだけ神妙な気持ちになって日頃の怠惰な生活を反省したり。そんな感じ。

彼等がこの世で果たせなかった事や、無念な想いを代わりに叶えてあげたい欲求もあるけれど、まぁ、そこまで凡人の私には出来ないから、せめて与えられた時間を自分なりに有意義に楽しもう、というスタンスのレベルの話ではあるけれど。

"Obituary"に並んで一緒に記載されてるのが"In Memoriam"とか"In Loving Memory of ~~~"とかのタイトルで、これらは死去の告知でなく、既に他界した人を偲んで"Anniversary"に託した想いを綴ったもので、それらの中にはとても美しい詩的なものも多い。

亡き人を想って綴った美しい"memoriam"には、部外者のこちらまで感動させられる程、強い愛情が込められていて、時々、心を揺さぶられる。

私がこの世を去る時にも、或は去った後も、そんな風に幾人かの身近な人々に偲んでもらえたら幸せだなぁ、なんて思いつつ。


6月7日付けの新聞に記載された"In Memoriam":

Dianneさん
November 12, 1944 ~ June 7, 2010 (享年65歳で他界)

"It has been a year and at times it seems like yesterday.  So many things I should have said and done but now it's too late.  I do have 45 years of memories but it is not enough.  I miss you every day and it doesn't get easier as time passes by.  You are the love of my life and I need your strength to carry on without you.  I was blessed to have been able to spend my life with you.  God willing, I will see you again in Heaven.  You are and always will be 'The girl of my dreams, my princess.'  Sadly missed but never forgotten, "

Wow… こんなに想われたら幸せだな。。。


<概訳>←敢えて記すのは英語オンチなうちの身内用ってことで

「1年が経っても時々、昨日のことのように思える。 言うべきだったことも、すれば良かったことも沢山あるけれど、今ではもう遅過ぎる。 45年の歳月での思い出はあるけれど、それでも足りない。 君の居ない毎日は寂しく、時間の経過につれても尚、癒されることなく。 君は僕の人生にとって愛そのものであり、独りで生きていくには君の強さが必要だ。 人生を君と過ごすことが出来て、僕はとても恵まれていた。 神様がいつか、天国で会わせてくれるだろう。 君はいつも、いつまでも僕にとってただ一人の理想の女性でプリンセスであり続ける。 不在は哀しいけれど、決して忘れない。」

*まぁ大体そんな内容ですが、飽くまでもカジュアルな意訳ということでお許し下さい。

0 件のコメント: