金曜日は雨が降ったり止んだりのお天気で。
夜になって肌寒く、かと言って暖房を入れるには早く。
何しろ暦の上ではまだ8月なのであるからして。
庭の大きな楓の木が大きく伸ばした枝の先端が色づき始め
夏の終わりを告げている。
はぁ〜、何とも物悲しく切ない。
凄く心細い気分にさせられる。
そんな中、子供たちの夏休みもいよいよ秒読みだし、平日の昼間の時間帯で安い映画を気ままに観られる私たちの特典も終了してしまうので、Erikaと二人で「じゃあ最後に」と夏休みの終わりの記念に映画『if I stay』を観に行った。
*IMDbよりの画像*
5ドルだと思ったら、3連休中の金曜日で新しい映画でもあり1人8ドルだったのは、ちょっとした思惑外れではあったんだけど。
「8ドル払うんだったら『Sin City』にする?」
なんて冗談めいて Erikaが言ったけど、私にとってその選択肢はなく。
『if I stay』も、どうしても観たいって程の映画ではなかったんだけど、原作本は Erikaが小学生の時に買ってあげて、その頃から十代向けの、どちらかと言えば大人びたシリアスな内容の小説も片っ端から読み尽くす読書好きの彼女だったので、それも例外なくあっと言う間に読んでしまい、割りと気に入って印象に残ってる風な作品という認識だったから。
人気の小説が映画化される場合、映画が原作を越えることなくガッカリさせられるって場合の方が多い傾向はある気がするんだけど。
だから、今回の場合はどうかな?なんて半信半疑に。
*Google画像より原作本の表紙*
何の期待もしてなかっただけに余計に感動した。
私自身は原作を読んでないので、詳しい内容を知らなかったのも良かったんだろうと思うけれど。
でも、
「原作に近かった?」
と Erikaに訊いたら、意外なことに
「原作よりも数倍良かった!」
の返事が返って来て、ちょっとだけ驚いた。
ふぅ〜ん。
じゃあ、映画が原作を超えて素晴らしい稀なケースの一つだね、なんて。
どうやら原作では話が割りと平坦に語られるらしいので、余り登場人物たちに感情移入出来る程の描写が無いらしいんだけど。
映画では、多分、キャスティングが素晴らしいんだろうな。
それぞれの登場人物たちが皆、人間臭く存在感があるのにとても自然で、妙な演技のし過ぎのイヤラシさみたいなものが全然感じさせられなかったもの。
それにしても、やっぱり Chloë Grace Moretzは才能のある女優さん。
ジュリアード音楽院を目指し、ヨーヨーマに憧れるチェロを弾く女の子の役なんだけど、実際チェロを演奏するシーンにまるで違和感がないのが凄い。
あと、彼女のお母さん役の Mireille Enosが可愛くて、ブラッド・ピットと『World War Z』で夫婦役を演じた際にも思ったんだけど、とても控え目な役でありながら、出しゃばることなくしっかりと存在感を感じさせる事が出来るのが素敵だな、と。
最近の映画の予告編の傾向で、それを観れば大抵の内容が把握できてしまうって感じで(コメディなんて、笑いのオチの部分まで予告編で全て見せてしまうので、映画館へ足を運ぶ必要が無いってくらい)、余りサプライズは無いかと思うんだけど。
なので私が多少の事を書いてもスポイラーになる可能性は無いという前提で。
要するに主人公が死の淵を彷徨い、俗に言うあの世へ行くことを決意するのか、この世に残ることを選ぶのか、というのが軸なんだけど。
幽体離脱して傷付いた自分の体を見下ろすとか、スピリットとしての霊とか魂とかの存在とか、この世とあの世との境とか、考えさせられる。
私は霊感がそれほど強いとは言えないし、宗教にも熱心ではないんだけど。
この映画を観て思い出したのは、人間にとって目に見えるものだけが全てではないような気がするって事で、そういう非科学的な事を戯言と一笑に付す人(うちの Davidとか)がいるのも承知してるので、なかなか言い難い事だったりするけれど。
少し前のある日、いつも通り平凡な極フツーの晩にいつも通りフツーに寝てたんだけど、突然、夜中の2時過ぎくらいに玄関ドアのチャイムが鳴った。
パッと目が覚めて、こんな夜中にいったい何事?と思い、心臓がバクバクしつつリビングを抜け、玄関に行って見たんだけど、誰も居ないの。
チャイムの不具合も特に無かったし、風の強い日でも無かったし、酔っ払いがふざけて悪戯にベルを押すような界隈でもないし、近所の人に嫌がらせをされる理由もなく。
その時、ふと「虫の知らせ」って言葉が頭を過った。
何しろ、実家の両親は共に80代だから、いつ何があるか分からないし。
電話するといつも、二人ともそれぞれに「遊び」に行って留守ばっかりなんだけど。
2〜3日経った頃、日本の姉から電話があって、叔母が数日前に亡くなった事を知らされてびっくりした。
と言うのも、何故かここ数年、叔母の事を思い出す機会が多く、子供の頃、可愛がって貰った事、疎遠になってしまい残念な気持ち、連絡してみようか?と思いつつ行動に移すことなく後悔の念、などなどが脳裏をかすめる事があって。
叔母があちらの世界へ行ってしまう直前に、遠く私のところまで別れの挨拶に立ち寄ってくれたんじゃないか?
そんな風に思うのは、ほんっとーに非科学的な事だとは思うんだけど。
でも、思わずにはいられないのよね。
そしてついでに書くと、先に行ってしまった人々に見守られてるって気もするの。
かと言って、神棚や仏壇があってお茶をあげてお線香を立てたり、手を合わせたりしてるって訳でもないから、図々しい独りよがりな発想って言えばそうなんだけど。
死後の世界とか輪廻転生とか、よく解らないけど、でも、死について考えるのは、生きるって事のあれこれを考える機会にもなり嫌いじゃない。
まぁ生きるのも死ぬのも、永遠の奇跡であり謎なのではあるけれど。