2011年4月3日日曜日

Blogに想う個人的な意見

Web上に公開しているとは言え個人的なブログと言うものは、飽くまでもその人が置かれた環境での日常を反映した、とてもプライベートで自己満足な日誌であり備忘録なんだろうと思う。

日本が地震、津波、原子力発電と3重の自然(一部は人災?)災害に見舞われ、戦後かつて無い深刻な苦難を強いられている際に、海外在住の日本人ブロガーの多くは多分、私を含め、躊躇し自問自答したんじゃないか?と思う。

『日本が大変な時に、脳天気なブログを書いてていいのか?』

ひとくちに「海外在住の日本人」とは言え、それぞれに置かれた立場や日本との関係や繋がりや、価値観、物事の捉え方、表現方法などには勿論、個人差があり、千差万別なのは当然。

だからこそ、自分のブログでは、今この土地で暮らしここで見聞する情報の中で、これまで異文化&多人種社会の中で葛藤し変化し続けて来た自分自身ならではの目や耳を通して感じたり、考えさせられたりする、他の誰とも全く同じではないユニークさを綴る事に意義があるのだと感じてる。

今、私が生かされてるこの人生は私だけのものなのだから。

地球上の全ての人々が皆それぞれの人生を生きるのと同じように。

そして、私が今日ここに書き留める想いや意見はとても変動的で流動的なものなので、それらが明日も同じとは限らない。

私たちは日々、変化し続けているのだから。

ブログに綴られるのはその時々の「瞬間」の記録でしかない。

少なくとも私にとって。

6 件のコメント:

マーチン さんのコメント...

とんでもなく自粛ムードの中色んな意見があるようです。

自分は、自粛をしようとは一切思っていません。
現地で被害にあった友人はこう言っていました。
「自粛しているだけの余裕があるのなら、この瞬間も楽しめる人は楽しんで欲しい。今、呑める立場にいる人はどうぞ呑んで下さい。騒いで下さい。経済を回すのは政治家や政府ではなく国民ですよ。」
重い言葉でした。

先日、靖国神社へ出かけました。お花見などは、やらないでくれと立て看板が置いてありました。
「こんな時に花見でばか騒ぎなど不謹慎」と言われましたが、そうでしょうか?
被害に合った方の事を思うとなど、綺麗ごとでしかない様に聞こえます。
我々は電気があり、ガスがあり、水があり。そんな中で生活をしてます。
「現地の方を思うと」と言っている方は水も電気もガスも使ってないのでしょうか?おかしな話です。

生きて元気であるならば、前を向いて生きる。で良いのではないでしょうか?

Mayumi さんのコメント...

マーチンさん♪

やっぱり。。。!(笑

日本の詳細な情報は私には余り入らない環境なんですが、でも、自粛とか不謹慎とか言う世間的な圧力があるのは伝わって来ました。

日本には独特の価値観が根強くあって、『みんなと同じ』であることに大きな意味を見出すのは、今も変らない様子。

おっしゃる通り、『みんなと同じように』哀しみを背負うのはナンセンスなことだと思います。

恵まれた環境に感謝しつつ、謙虚に、けれどせっかく与えられた人生ですから、一瞬も惜しみなく、満喫したいものですね。お互いに。Peace.

Unknown さんのコメント...

私も、海外に住んでいるから、って言うのもあるけど、今のこの瞬間、今日の出来事を記録するためにも、自粛とかを考えずに能天気なブログを書き続けています。
きっと日本のお友達からみたら「節電やら買い占めやらで苦しんでいるのに!」と避難の目で見られているに違いないですけど。
けど、私のブログは、あくまで食事の記録を基本にしてるので、そんな風に思われても良いや、と今では割り切って更新するようにしています。

ただ、節電は、地球の環境の面から言って、なるべく実施してますけどね。

Mayumi さんのコメント...

ゆたママ/ましゃ♡ラブさん♪

例え海外に暮らしても、日本人ならではの心理的、外的プレッシャーってのはあったりするものですよね、やっぱり。

"Individuality"ってのが未だに尊重され難い背景みたいだし、特殊性のある事柄に対する妬みとか嫉妬心とか、屈折した感情を露にする人は多い印象を受けます。

毎日の献立を欠かさずアップされてるのは本当に凄いなぁ〜と感心させられます。
個人的な記録として残るので、納得の行くまで継続出来ると良いですね!

日本の復興を願いつつ、省エネは地球規模で意識して継続したいですよね。

まゆみ さんのコメント...

私の周りは共通して、「明日は何が起きるか
わからないんだから、この一瞬を大事にしたいね。」が多いですね。

今回のような大惨事は本当に稀なことですが、こういう天災以外でも人は「自分の命」や「人の命」を突然奪われることもあるわけで。

そういう意味では、自分の中では今回の件があってどうこうというような大きな変化はなかったですね。

ただ、たまたまあれが私たちが住む町で起きるだろうと予測されていた南海大地震と場所が違っていただけで、逆だったらという思いは本当にあって、「ささやかでも出来ることを」ライブ企画やライブ参加を中心にやっているといった感じです。

今日は久しぶりに、じっくりブログを読ませてもらう時間ができてラッキーです。

桜もこの春雨で終わりといった感じ。

今度は、アッという間に暑くなる高知ですが、新緑を存分に楽しみたいと思っています。

Mayumi さんのコメント...

まゆみさん♪

え!?
桜はもう終盤ですか。。。ほんと、季節がひと足もふた足も早い高知ですねー。

近年、身近で、しかも年齢の若いご友人の死を何度か乗り越えて来られたまゆみさんですから、人間の死に対する意見には説得力がありますね。

日本では未だに余震が続いて、次は火山活動の活発化を懸念する精神的ストレスは大きいと察します。

自然とか宇宙とかの規模で考えると、私たちの人生は本当に塵のようなものに感じますね。

春の雨も新緑の緑も、私たちがいようがいまいが関係無く、淡々と永遠と繰り返される訳で、だからこそ、それらを愛でることが可能な瞬間こそが奇跡の連続なんでしょうね。

第三者とか世間とか流れとかに邪魔されることなく、自分だけの奇跡の時間を慈しめたら良いなぁ〜とか思います。