ふぅ〜。
何だかあっと言う間に時間が過ぎてる。
頭の中、色んなあれこれに占領されてあたふたとしてるうちに。
でもって、途中、山積みされた未読の文庫本の中から気紛れに抜いた一冊をそれとなく読み始めて、気長に読もう、、、なんて思惑に反して、先に読み進めたい衝動で一気に没頭して読み終えてしまったり。
日本語の世界にどっぷりと浸かって読み切った後、異次元から戻ったような妙にギクシャクとした感覚はいつもながら、遠い別世界を旅してた気分にさせられるのは、単に物語の中に入り込んでたってだけでなく、場所と時代背景のギャップに加えて、言語と文化的環境の隔たりをも飛び越えてこちらの、現実の世界に戻って来なければならないから、、、なのかも?
読み終えて本を閉じた瞬間には、私の頭の周辺は未だすっかり日本の何処かで日本語文化の中に浸ってる状況で、それはまるで日本語の雲の中に頭を突っ込んで、ぽっこりと雲の上に顔を出してるみたいに。
誰かに話し掛けられたら、意図せず日本語で応えてしまうはず。
日本語で話してる自分に気付かずに日本語を喋る瞬間。
えっと、、、何でニホンゴなの?って間(マ)があって、ちょっとした「ココはどこ?私は誰?」みたいな一瞬の混乱。
あぁ〜、すっかりトリップしてたわ。。。みたいな。
この感覚、イラン人の友達 Halehも共感してくれたんだけど、先週の土曜日、本当に久し振りに再会した彼女がレストランで私を待つ間ペルシャ語の新聞を読んでいて、記事に没頭して読んでいたら、私が現れた時に思わずペルシャ語で挨拶してしまいそう、、、って思い、急遽、意識して英語の雑誌に読み替えたんだそうで笑ってしまった。
そしてまた日本語の本を開くと、一瞬にしてニホンゴの世界が広がって、ニホンゴの海がうねりニホンゴの平原が広がり、そして真ん中にぽつんと畳の間の静寂があって、その「和」の空間で本を読む私がいるのよねぇ。
なので日本語の本を読む時には何となくいつもちょっとした意気込みと言うか、心の準備みたいなものが必要で、、、「それじゃあこれから、ちょっくらアチラの世界に行って来ますわ」、、、みたいな。
そういう意味ではやっぱり「旅」よね。ちょっとした。
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