ということは、どちらの会も隔週で不参加してるってことで、だからどちらの会にも顔を出す度にちょっとだけ「お久し振りぃ〜」ってな気分で、前の週に欠席した間に発生した出来事だとか、進展した話題だとかに100%付いて行ってない事も多く、「え”、それって何の話?」みたいに置いてきぼり状態だったりするのが残念。
とは言え、どちらの会もそれぞれに特徴が異なるので捨て難い現状。
最近は余り熱心にラグ・フッキングをしてないので、Textile Centerの会のみ参加しようか、、、とも思うんだけど、顔馴染みの仲間と会えなくなるのも淋しいような気がするし。
私自身、ラグ・フッキングは継続するつもりではいるんだけど、最近その世界にちょっとした閉塞感のようなものを感じてるのは事実で、ウェブサイト上でのコミュニティにも参加しているけれど、主流はやはり正統派でプリミティブなスタイルの床敷き=ラグとして仕上げるフッキングな印象。
私は、と言えば、床に敷く為のラグをそんなに何枚も仕上げる欲望は毛頭無いし、平面的な作品作りにも制約感があって、だから敢えてそれをぶち壊す意味でも何かしら3Dで立体的な作品に仕上げたい欲求がある。
素材も、ウールだけに制限することなく、手法も、フッキングするだけにこだわることなく、色んな素材を取り混ぜて、色んな手法を組み合わせて、ファンキーでクレイジーな作品作りに挑戦したいと思う。
だからひょっとして、正統派で年配で保守的なラグ・フッキングの道の大御所たちから好ましく思われないって事もあるかも知れない、とは自負している。
「和」を重んじる価値観が根強く残る日本人の背景を持つ自分にとって、本流に逆らって泳ぐ鮭のような行為に多少の躊躇いもあったり、あぁ、でもそれはひょっとして「鮭」なだけにカナダ暮らしの影響もあるかも、なんてまるで説得力ないけど勝手に自分の中では冗談的に納得したり。
いずれにしろ、社会に出て、不特定多数の人達と交流する中において、全ての人と賛同したり、全ての人たちから好意も持たれたり、なんて夢のような状況は無いんだろうから仕方ない。
理想主義の自分に向かって「目を覚ませっ!」と喝を入れるような瞬間アリ。
皆と仲良く、皆に好かれたい自分って、いったい何者なんだろう?
私は本当に第三者からの批判とか疎外感とかに弱いなぁ〜と思う。
それでも決して「羊」って訳でなく、時々、爪や牙を出して戦うこともあるから、カナダの一部の人々の間では通称:タイガー(虎、ですか)と呼ばれたりもして。
とにかく色んな人々の間で未だに葛藤を繰り返し、自分探しの旅を探索中〜。
そして前回の Textile Centerでは、、、
Wendy W.さんから、彼女のお母さまやお祖母さまが愛用されたという、古い革の手袋を数点「何かのプロジェクトに使って貰えるかしら」と言って譲り受けた。
どれも(元は)白い色で、幾つかは肘まである長いスタイルの手袋で、パーティなどでの外出の際に身につけられたと言う話。
何だかまるで皇族や貴族、上流階級の女性たちが装うような。。。?
その時点では、まったく当てもなく「有り難く頂戴します」(←いつもの)な場面だったのだけど、家に帰ってその後、魔女作りが進展すると
「魔女の手が必要」
って事に気付き、
「魔女の手を作るのに手袋を使ったら手っ取り早いんじゃない?」
ってな発想で、
謀らずして、この時期にこのアイテムが見事に手元にある妙、に驚き。
頂いたばかりの革の手袋に、針金で成形した腕を取り付け、指の部分にもパイプクリーナーを入れて自在に曲げられる仕様に。
リアルサイズの魔女の肩から取り付けた際、ポーズを作ったり、箒とかカボチャとかネズミとか、何かしらを手に持たせることも可能なのが嬉しい。
魔女の顔の色に合わせて、両手も緑色のペイントで着色。
この後、プラスチック製の黒くて長い付け爪を加える予定。
Wendy W.さん曰く
「どんな風に使ってくれても(切ったり)構わない」
の反面、
「できれば手袋の形のままで使って貰えたら嬉しいけど」
ってな本心の部分もある印象だったので、彼女にとって想い出のある形見としての手袋が切り裂かれることなく原型を留め、作品の一部として使われたのはひょっとして本望だったかも?なんて私的な解釈。
完成したら彼女に写真を見て貰おうと思う。
いずれにしろ今回も、仲間の協力や善意に感謝の気持ちでいっぱい。
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