*裏庭で見た朝焼けが綺麗だったので写真に*
(カメラの「水彩画」モードで撮影して加工)
何だか自分でも不思議に感じて、何となく腑に落ちないので自分なりに分析を試みているんだけど。
この一ヶ月くらいの間で立て続けに、見ず知らずの人々から綺麗だと言われた。
え”・・・。。。!?←私の反応
まずはヴォランティア先のシニア施設内のギフトショップにて。
入居中で買物中の老婦人にお買い上げ頂いたクリスマス商品を丁寧に包装中の私の様子をまじまじと見入ってたので、「何だろう?」と思ってた矢先、彼女はニコニコと笑いながら唐突に
「アナタ、べっぴんさんね〜」←日本語に訳すと何故かこんなニュアンス
と言うので一瞬、言葉を失ってしまった。
次はクリスマス休暇中に Erikaと買物をしたモントリオールのチャイナタウンにて。
細身で中国系の綺麗な女性店員さんが
「アナタもお嬢さんも、とても独特な雰囲気があってお綺麗ですね」
と言うので、ここでもちょっとビックリ。
Erikaと顔を見合わせて、肩をすくめながら悪い気はしないンだけど、勿論。
アメリカに帰って来てから、先週、買物に出掛けた WalMartで通り掛かりの若い男性から声を掛けられて、「Hi」「How're you?」って。
「Great」「Thank you」なんてのは、見知らぬ同士の間でも気軽に声を掛け合うのは日常茶飯の北米だから、特別、何とも思わなかったんだけど、名前を訊かれたので「え”!?」と思い、怪訝そうに「Why?」と警戒したら
「アナタ、可愛いから」
って。
「Cute...」って、いったい。。。。。またしても言葉を失う私。
そして今週、地元のスーパーマーケット内に入ってる小さな薬局で買物中、探してる商品が見つからず、女性の薬剤師に訊いたんだけど。
褐色の肌をしてアジア系の眼鏡を掛けた綺麗な彼女が素敵な笑顔でニコニコしながら
「お国はどちらですか?」
と訊くので
「あ、オリジナルには日本です。カナダに長年、暮らしたんですけどね」
と答えたんだけど。
アジア系の人達には、親しみを持って声を掛けられる事が良くあるので、今回もきっと、そんな感じかな、と思ってたら、またしても脈略なく
「お綺麗ですね」
とか言われ、
「この辺りでは余り見掛けないタイプなので目立ちますね」
なんて。
ひぃぃぃ〜〜〜。いったい全体どうしたこったい???みたいな。
正直、私ってば女優さんみたいな顔でもないしっ。
自分の顔については不完全な場所ばかり気になってるし。
コスメおたくでも無いのでお顔のお手入れなんていうものもしてない。
てか、最近ではろくに顔もあらってない。←ゲッ
とにかく毎月の化粧品代に掛ける出費の低さには自信があるくらい。
美容液だの美顔だの美白だのってのは何だか無意味で勿体ない気がして、女性ならば本来そういうモノに使うであろうはずのお金は全て、毛糸やらボタンやらの手芸材料に化けるか、或は Etsyで購入するヴィンテージのアクセサリーだとか、カスタムメイドの宝飾品に化ける。
個人的な価値観とか優先順位とか、人によってそれぞれ違うのだろうけれど、少なくとも私にとって、顔を綺麗により美しく保つ努力への関心は高くない。
勿論、人並みに清潔でこぎれいにしていたい欲求はあるけれど。
それで色々と考えてみたんだけど。
最近の自分と、これまで過去の自分との違いについて、とか。
気がついたのは、最近の私はとにかく精神的に余裕があるってこと。
色んな事に対して、以前のように切羽詰まってないし必死でもない。
正直、カナダに引っ越した頃の自分は劣等感の塊だったし。
英語やフランス語に対するストレスとか、言葉の面で不備のある自分が世間から不当に扱われるんじゃないか?っていう強迫観念が常にあったり。
特に子供を持つ母親の立場になってからは、子供たちの権利を守る役割りも加わり、ある意味、気の立った親鳥と言うか、保守的で攻撃性のある時期だったかも。
移民としての疎外感が大きかったし、色んな不安感に押し潰されそうな時期も意外と長くて、ブログにはいちいち書かない繊細な問題や、経済的な起伏や波もあり。
負けず嫌いな自分はいつも戦ってるような精神状態に近かった気がする。
振り返って見るとだから、過去の私はいつも気が張って余裕が無く、内心ビクビクと不安で、取り繕った笑顔を浮かべて、自分が考える理想の自分を演じるような、何か上辺だけの薄っぺらい感じが自分でもしてて、その一方でいつも「本当の自分探し」をしてたような。
日本人の自分と北米人になりつつある自分と、日本人なのに日本人じゃなくなって行く自分と、ほとんど北米人に近いかと思ったら意外と日本人の自分と、やっぱりかなり北米人な自分と、、、自分の中で変わり続ける要素に影響される自分自身のアイデンティティに翻弄され続けて混乱する自分を持て余してたのかも。
つまり、これまでの私は混乱して余裕がなく切羽詰まった顔付きだったんだろう。
そして今、図らずもアメリカに暮らすことになった私は、何だか急に、ようやく色んなしがらみから開放されて自由になったような。
子供たちも成長したし、言葉の問題(フランス語が必要ない!)も殆ど無いし、見栄をはったり対抗する相手もいないし、世間と戦う必要も殆どないし。
北米に暮らし始めて、ようやく鎧を脱いでありのままの姿で、素の自分でいられる心地良さを実感しながら、初めて素直に正直に生きてる。
柔軟で無防備な心は、他人が安心して近付き易い柔らかいオーラのようなものを伴って、人間味のある温かさを感じさせる雰囲気を醸し出し得るのかも知れない、なんて思いつつ、もし今の自分がそんな風なメカニズムによって、見ず知らずの人々を引き寄せ、ポジティブな意味合いでのコメントや言葉のシャワーを浴びてるのだったとしたら、それは何て素敵な事だろう、と思う。
大人になったら自分の顔に責任を持たないとイケナイ、とは良く世間一般に言われていて、聞いていた言葉ではあるけれど、実際、顔に現れるのは年齢だけではなく、それまで生きて来た人生での色んなあれやこれやの哀愁も喜怒哀楽も劇的に(皺と一緒に)刻まれるんじゃないかな。
そういう意味では、私が卑屈になって戦って来た葛藤の時期や不安や不満や色んなストレスも何もかも、今の私の顔を作ってるんだろうし、楽しくハッピーな事ばかりではない醜いメンタルな部分の歴史だって、責任を持つ覚悟だし。
多分、この歳ならではの、そういう開き直りに近いあっけらかんとした気概みたいなものが、私自身のそこかしこに現れて、幻想として綺麗に見えたりする瞬間があったりするのかも知れない。
とにかく、昔の自分にとって50歳は「初老」のイメージだったのに、いつの間にか自分がちゃっかりそんな歳になっていて、自分でもびっくりなんだけど。
そもそもアジア人は、欧米人に比べると若く見えるからお得。
しかも小さく小柄に見えるし!
ま、体型的には随分と北米化してるんだけど。フッ。
今後も自身の容姿には、もちっと責任を持たないと、、、とも思う。
2 件のコメント:
今が一番輝いているんのですね。
ブログ拝見していてもミネソタ(アメリカ)に来てからどんどん解き放たれて、積極的になり、楽しまれている様子がわかりますもの。
私も、アメリカに行く前や帰ってからが不幸だったとは思いませんが、なんだかアメリカの生活はすぐ受け入れられて、気楽でふんわり楽しかったという思いだけです。
2年目はますます輝いてね。
yanaさん♪
過去は過去で、それなりにその時々で幸せだったとは思うんですが。
振り返って見ると、かなり肩に力が入ってたと言うか。(笑
無駄に頑張り過ぎて、空回りしてたとか。
アメリカの解放感は、本当に独特ですよね。
自分が本来の自分のままでいられる心地良さとか。
ミネソタなら、って部分もきっとあるかと思います。
他の州には住んだことがないので比較できませんが。
やはりyanaさんも同様なのですね〜。
懐の深さがある土壌って感じなのでしょうか。
住んでみないと解らなかった事でもあり、私にとって貴重な体験であるアメリカ暮らしを、本当に満喫しています。
コメントを投稿