まだまだ雪にも本格的な冬にも、気持ちの準備が出来てないし!
相変わらず気分の抑揚は大きく、落ち込んだりする日もあるものの、とは言え、孤独に家に独り籠って没頭出来る趣味があるのは救いな気もする。
実はいつになく情熱を込めて楽しみながら進めているプロジェクトがあり。
手法としてはラグ・フッキングなんだけど。
最近の色々な体験から、自分が目指すフッキングが単に床に敷く為の伝統的な「ラグ」を作ることではない確信に達した。
私は自分自身の肩書きについて考える時、取り敢えず「手芸家」とか、なのかなぁ〜などと思いながらも、"Handcrafter"に留まることなく、"Artist"の域に達したい欲求が常にあり、つまり、単純に手芸をする人、と言うよりは、自分ならではの世界観を表現する芸術家になりたいと思う。
世界に一つだけの作品を独自にデザインして創作するというプロセスで。
日本で暮らしてる時も、カナダに住んでる際にも、余り意識した事は無かったんだけど、アメリカに暮らしてみて、自分の中に大きな変化があった。
生活する環境の中で、家が広くなった分、自分だけの作業場が持てるようになった事も大きく、今までとは比べ物にならないくらいの時間で、モノを作る作業に専念できるようななったのも大きな要因なんだけど。
何よりも人との出逢いによって受けた影響は大きく、この土地で、様々な分野で活躍してるプロの芸術家の人たちに会って、刺激を受け、自分自身の才能とか価値に対して改めて見極めるような機会を与えられた気がしてる。
ある意味、この土地では「アーティスト」になる敷居が低い、と言うか。
自分自身を信じる人は誰でもアーティストになれる、みたいな。
実際、自分にどれ程の才能や能力があるのか?解らないけれど、それでも、私の価値観によるところの私の美意識とかデザイン性とかは私独自のものであって、他の誰にも真似の出来ない「オリジナル」でユニークな自分ブランドである事だけは確か。
あとは日本人特有の、これまでみたいな「謙虚さ」とか「遠慮」とか、自分の作品を世間に発表する際の
「いえいえ、まだまだワタシなんて本当に素人で平凡で大した作品じゃないですが」
みたいな、無用で馬鹿馬鹿しい態度はとっとと丸めてミシシッピ川に捨ててしまうような勢いで。
この土地で過ごした2年足らずの間に出逢った人々から、本当に沢山のポジティブな応援の言葉や態度や動機を受け取り、励まして貰ってる環境は本当に幸運だし、有り難いことだと実感してる。
ひょっとしてアメリカ人って、皆こんなに良い人ばかりなの?ってくらいに。
とにかくこの土地で、これまで発表した作品の数々は常にポジティブなコメントや評価を受けて、自分なりにちょっとした自信も付いて来た。
なので発表の際にも、謙遜し過ぎず、かと言って気張り過ぎることもなく、自分でも驚くほど自然に素直に作品の説明などが出来るようになった収穫は大きい。
あとはまぁ、知らず知らずの間に英語が上達してるからってのもあるのかどうか?
とにかく、この2週間くらいに渡って奮闘して来た作品がほぼカタチになった。
*鹿の頭:通称 "Trophy/トロフィ"と呼ばれ
ハンターが狩りをした獲物の剥製化した頭部を壁に飾るもの*
*角が一つしかないのは
ちょうどいい木の枝がまだ見つかってないから*
熊のヌイグルミや人形などを作った経験があるので、どんな型紙を作ればよいか、大体のところは解っていたんだけど、敢えて型紙無しで作り始めた。
まずは最も重要となる顔の部分をフッキングして仕上げ。
顎、両頬、首、後頭部、をそれぞれ次々に「パーツ」として小さくフッキングし、カットしてそれぞれの箇所に縫い合わせ。
その後は、物差しで足りない部分を計り、追加でパーツをフッキングしつつ、縫い当てて行くという、まさに継ぎ接ぎ、パッチワークの作業。
最後に作った両耳には針金を入れて、向きやカタチの変化を出せるようにした。
タイミングとか巡り合わせとか、本当に人から助けられてることを実感したのは、ヴォランティア先のギフトショップから、発泡スチロール製のマネキンの頭を借りて来ることが出来たのと、あとはテキスタイル・センター仲間のロクサンヌさんから、たまたま上質で、手染めされたウール素材の切れ端を貰ったこと。
鹿の頭を何度もマネキンの頭に被せたり外したりを繰り返して成形した。
自作のファッション用品をクラフト展などで販売するロクサンヌさんがくれた端切れは、彼女がコートやジャケットを作った高級なウール素材の残りで、染めは、ミネアポリス周辺で名の知れた染色作家:キャンディさんが手染めしたむら染めで、適度な厚みがあり扱い易かったので、鹿の耳の裏側と、首の部分に使用。
以前も既に何度か書いてるけれど、フッキングの作業そのものは、やはり私にとっては「油絵」と同様なんだなぁ〜と実感。
今後も抽象画風のデザインでのフッキングとか、あとは立体的な作品作りでのフッキングとか、北米伝統の床敷きラグをフッキングする本流から逸れた、音楽で言うとまさに反逆的なパンクでロックな独自の世界を開拓して行きたいと思う。
勿論、そういう伝統から逸れた流れを善しとしない家老(?)や老中(??)なども居るには居るのではあるけれど、茶坊主(???)に暗(毒)殺されないよう、気を配り、敬意を払い、世渡り上手に我が道を往く、って感じな方向で頑張る。うん。