クリスマス明けでの米国への引越しが決まったものの、色んな懸案を片っ端から片付けて行くのに、ミネアポリスで単身赴任中の Davidとメールでのやり取りは何とも「時差」のある感じと言うか、時々 "hiccups"を起こす感じと言うかで何とももどかしい場面があったり。
とにかく、6ヶ月間の契約で、紆余曲折あり「美術館みたい」な一軒家に仮住まいすることになり、パークハイアットとは言わないまでも、ヒルトンホテルみたいな都会的なホテルを彷彿とする内装やバスルームのあしらいに、そこでの暮らしをちょっとだけ楽しみにしてる感もあるのは救われる感じ。
そこにゆっくりと腰を据えて家探しをする予定。
荷作りに先駆けて不要品の処分を「鬼のように」する訳だけど、友人や図書館やバザーや各種団体に寄附して有効利用して貰えるのは有り難いとしても、日常の生活が、いかに大量の不要な品々に囲まれた生活であるか、ってのを思い知らされて痛い。
常に引越しを考慮して、物を増やさない整然と潔い暮らしを維持するには、5年毎くらいの周期で家を買い替えて引っ越すのも悪くないかも?なんて思う。
家や物に執着心が湧くのを未然に防ぐって感じの策で。
実際、私たちにとって、ミネアポリス周辺で来年、家を買うとしても、一体そこに何年くらい暮らすことになるのかは未定だし。
子供たちの成長に伴って家族構成が変われば、再び小さな家に買い替えて引っ越すのもアリだし。
いずれカナダに戻る可能性もゼロでは無いだろうし。
人生は冒険の連続。
そして、意外とそんな人生が好きだったり。
安定を望む気持ちも無いことはないけれど、それでもやっぱり変化に乏しい生活にはいずれ息が詰まって退屈して、新しい環境や新しい挑戦を要する刺激を必要とする傾向があって。
引越しの荷作りは良いとして、住み慣れた土地を離れる為の儀式と言うか、つまり自分が属する会やサービスだとか、友人たちにそれぞれ別れの挨拶をしなければならず、こればっかりはちょっと感情の起伏と言うか、心の動揺と言うか、目には見えない部分での葛藤があり。
毅然と正面から向かって行くはずが、不意に隙をつかれ、弱点を責められる技ってのにやられそうになる。
思い掛けず年配の女性たちから「アナタが居なくて寂しくなるわ」なんて抱きしめられたり、頬擦りされたりなんかして。
それは行きつけの美容院でだったり、Quiltingのギルドだったり、Rug Hookingのギルドだったり、歯列矯正医院だったり、眼科医だったり、仲良くして貰ってきた女友達たちだったり、色々。
そんな場面では改めて、人との繋がりっていいなと感動させられる。
未だに引っ込み思案なところがあって、どちらかと言うと社交的とも言えなかったり、何しろ面倒臭がりなので出不精になりがちだったり、人の輪に入って行くのが苦手に思える時も多々あったりするけれど、それでもやっぱり人と関わって行くことで魂が磨かれるような感覚は得難いから、たとえ何処で暮らすことになっても、新しい土地で新しい生活を始めてることになっても常に、臆病な自分の背中を押す勇気は失いたくないな、と改めてそう思う。
なぁ〜んて、今朝4時に目が覚めてしまって書いてる私は、実は昨日、あちこち飛び回って疲れ過ぎて、なんと夜8時前に寝てしまった(小学生かっ!?)のだった。
さて、外出の予定もほとんどこなしたし、今日から本格的にせっせと荷作りに励む気合いで。