2016年2月21日日曜日

Pixel Hooking

*遠くから見るとようやく顔に見えてきたところ*


自分は本格的なラグ・フッカーではないと認識してはいるんだけど。

フッキングをするのは、自分にとっては絵を描くことであり、あとは同時に立体的な作品に挑戦してみたり、単に床に敷くラグとしてのみでなく、何かしら別の要素や機能を持った作品を作って見たいと考えている。

モットーは "Freeform" "Free Spirit" "Fearless"と3つの「F」で。

伝統的な形式に縛られることなく、型にはまる事無く、自分独自の冒険的で挑戦的な試行錯誤を繰り返したいと願ってる。

なので今回は既存のイメージを画素でフッキングする挑戦。

私的な呼称で "Pixel Hooking"。

取り敢えずラグ・フッキングのコミュニティでは新しい試みかも?

Monks Clothに小さな四角を線引きして、そこに色を埋めていく手法。

ひとコマは、ほぼ 1.3cm角の升目。

このプロジェクトでは、色に対する認識が深まった気がする。

素材のウールとして、自分が既に持っているパレットがいかに制限されているか唖然とさせられた感じで、単に「肌色」と言っても、1ダース程度で濃度の違う肌色を持っていたものの、ピクセルで表現しようとすると、実に50種類くらいの肌色を要するのを実感。

ピンク系の肌色、オレンジ系の肌色は勿論、そこに光と影と反射が加わって白っぽい肌色、灰色っぽい肌色、紫色がかった肌色、緑色がかった肌色、茶色っぽい肌色、そして更に紫色と灰色の混じった肌色とか、茶色と緑色が混じった肌色とか。

とても興味深い挑戦。



余談で。

水曜日の夕方、思い掛けずラグ・フッキング仲間のジェインさんから電話があって、木曜日に、ケイトさん宅であるフッキングの集まりに誘って貰った。

朝、迎えに来てもらい、10時から午後2時の予定の会で。

パストラミとスイス・チーズのサンドウィッチを作ってお昼用に持参。

あとは小さな袋入りのポテト・チップスも、手土産用のクッキーと一緒に。

私を含めて9人くらいのグループ。

初対面の人も一人いたり、思い掛けずテキスタイル・センターで顔馴染みの人も一人いたり、一緒にフッキングするのが目的ではあるけれど、それよりも社交としてのお喋りの方が興味深かったりする。

あとはホストの「お宅拝見」みたいな要素も楽しみ。

古くて趣のあるお家はとても温かな雰囲気に包まれて、ヴィンテージやアンティークの調度品とかコレクションとか飾られてるのが素敵だった。



緑と青紫の人魚

引き続き、あれやこれやの合間に人魚作りに夢中。

手元に綺麗な毛糸が沢山あるので、それらに埋もれて格闘してる時間はもう、これ以上の幸せはないってくらいに満ち足りたひと時。

これまで、同じアイテムを幾つも繰り返して作るような作業には興味が無く、だから常に究極の "OOAK = One of a Kind"的なものづくりだったのだけど。

何故か今回の「編んで作る人魚」は、バービー人形と同様に瞳の色を変えたり髪の色を変えたりするだけで印象がまるで違った人魚になるので、その変化が面白く、そして色んな種類の綺麗な毛糸も沢山あるしで、次から次へと作って見たい欲求に駆られ、鱗のデザインにも変化を付けつつ、継続して作ってる。

ひょっとして、今まで自分でも気がつかなかったけれど、「人魚」ってのが意外なキーワードだったりするかも?ってのもあり。

「ユニコーン」などと並んで「マーメイド」は幼少期の女の子に人気のアイテムで、架空の存在感ならではの夢があって、想像力を掻き立てられる部分があり、自分が幼少の頃に不十分で不完全燃焼だった「女の子の夢の世界での遊び」みたいなものを、今頃になって思い出して貪ってる、みたいな、そんな感覚もあったり。

多分、私くらいの年代だと、次は「孫と一緒に遊ぶ」時間というものの可能性も用意されていて、その際にはきっと、一緒に遊べる人形やら玩具やらを作って、ここぞとばかり真剣に遊ぶことも出来たりするのかも知れない。

ま、仮にそんな日がいつか来るとして、それまではまだまだ時間がたっぷりとあるから、今はせっせと自分の欲望の向くままのものづくりに専念して、作り過ぎたら自分の Etsyショップに置いてみたり。

売ることを目的に物を作るってのは殆ど不可能に近いくらい欲求も目的意識も湧かないんだけど。

モノを売るってのも苦手だし。

自分の中にはモノを売るビジネスという才能としての血が無いのは確信に近い。

モノに対する執着心とか強過ぎるって傾向もあるかと思う。

自分が作ったモノには自然とそれなりの愛着も湧くし、世界中の何処の誰だか解らない人に買って貰ったとして、気に入って可愛がって貰えるという保証はなく、直ぐに飽きられて不要品の山と一緒に寄附されたり、或はゴミと一緒に捨てられてしまったり、の可能性を想像すると、多少のお金との引き換えに手放す決心が出来なくなってしまう。

なので、実際に Etsyで次々と手作り作品を売っているアーティストの皆さんは、本当に凄いなぁ〜と真剣に尊敬してしまう。

今のところ、そんな訳で私はいつも買い手の立場なのだけど。

最近は服も靴も鞄も全く必要ないから買わないけれど、Etsyだけは徘徊して、OOAKの手作りジュエリーとかは買ってる。

まぁ自分なりにマーケティングの勉強にはなってる(かも)。

そしてやっぱり自分ならではのブランドを確立したり、ファンベースを築いたり、魅力ある商品の開発やデザインの開拓をしたり、フレンドリーで丁寧で魅力あるカスタマー・サービスをしたり、そんな全ての事を自分で一切合切引き受けて情熱を以て切り盛りする能力は私には無いな、、、を実感する。

なので気ままに作って作品展に出したりコンテストに出したり、そんなので十分に有り難いと思うわ。。。ってな結論で。

前置きが長っ。


先週の作品は緑色のマーメイド。


この娘は何気に腰のくびれが顕著なデザインで瞳も大きめ。







そして青紫色の髪のマーメイド。



背景の「海底のジオラマ」も少しずつ完成に向かってる。

あとはクラゲとかタコとかカメも編みたいかも。




2016年2月17日水曜日

兎の運転手

昨日は Textile Centerに行く予定の日で、でも何となく気が進まず、特にこれと言った理由はないんだけど、行こうかどうしようか?ちょっと悩んだ後に出掛けた。

季節的なことなのかどうか、私と同じような心境だった人も少なからず居たのかどうか?出席者は異例に少なく、ひっそりと5名(私含む)のみ。

地元の美術館で開催されている展示会に出展してたり、サンディエゴの著名な美術館でのイベントに出展してたりのアーティストさん達が不在なのと、あとは冬の間、フロリダの別宅に移住している人や、気候のいいアリゾナ州へ旅行中の人とか。

「アナタは何処にも出掛けないの?」と前回、訊かれたけど、「オタクだから家が大好き。何処にも行くあても無し」と答えて、その場の笑いを取ったケド。

何処か南の島にでもバカンスに行く、ってのはアリかも。

でも出不精なのは事実だから、家に籠って手仕事をしてるのは南の島と同じくらい、私にとってはパラダイスだから、まるで文句は無いのよね。

息子は18歳で、北米では世間的に「オトナ」の扱いなので、無理矢理の家族旅行として子供たちを同伴しなくても、極論、Davidと私の二人だけで、家と犬の世話を子供たちに任せて旅行に出掛ける事だって可能なんだけど。

ドミニカン・リパブリックとかラス・ヴェガスとかが取り敢えずの候補地。

Davidは使ってない有給休暇があるから、時効で消滅する前に使いたいらしいし。

日本で企業に勤めるビジネス人とは違うなーと感心させられるのは、有給休暇の日数だけでなく、それは日常的な出勤時間とか退社時間とか残業とか。

取り敢えず基本的に残業はほとんど皆無に近いから、いつも夕食時には家に居て、既にラクな格好に着替えも済ませて犬の散歩も済ませて本でも読んでるってパターン。

勤務時間も特に指定されてないみたいで、俗に言われるフレックス=フレキシブルが浸透していて、本人の生活様式に合わせて好きな時間に出勤したり退社したり出来て、しかもタイムカードなんてモノも存在しないみたいなのを見るに付け、まさしくこれぞ巷で言われる「自己責任」ってやつのカタチなんだろうと思う。

だって、実際、誰にも管理されてないみたいだし。

朝はのんびりと9時過ぎに家を出る事が多く、さすがに10時過ぎに家を出るような日は、帰って来るのが5時ではなくて6時くらいだったりとか。

仕事の後で上司と飲みに出掛ける、、、なんてのも無い。

年に一度とか二度とかの確率であるとすればパーティみたいなもので。

と話は取り留めなく逸れまくりなのだけど、昨日、Textile Centerでの集まりで改めて感じたのは、”人々は他人との会話の内容をいちいち覚えてナイ”って事。

一方のワタシは、実は他の人との会話を割りと逐一覚えてるってタイプで。

自分の個人的な資質なのか、それとも日本人的な要素なのか?それは謎。

多分、多くの北米人の特色かと思うんだけど、気さくにお喋りする内容については、基本的にとってもカジュアルで、重要なことでない限り、誰と何を話したか?余り真剣に気に留めている節がまるでない。

なので、結果として、何度も同じ相手と同じ内容の話を、あたかも初めて話す話題のように会話しないとイケナイ場面ってのが何度もあって辛い。

いや、そんなに辛くもないけれど、でも「またか」と心の中でうんざりしたり。

会話の重要度が低そうなので、必要以上に真剣に受け止めてる自分がばかばかしく思えたり、他人の言葉を重く受け止め過ぎて何気に傷付いたり落ち込んだりする自分がいるって事実も、全く無駄なエネルギーの消耗だとは思うんだけど。

これが自分の個性なのか、北米化することが出来ずに居る日本人ならではの文化的な名残りなのか、自問自答は止めどなく繰り返される。

北米暮らしが長くなっても尚、無駄なことで悶々としてるのは相変わらず。


そしてそして、"I know, I know... "

「カワイイ物」は、もうこれ以上必要ないって知ってる、と自分で自分につぶやきながら、頭の中では解ってはいても、春先にやって来る季節行事:イースター関連の物たちにはやっぱり弱くて。

値段もそう高くなかったりで、可愛いデザインの商品が目白押し。

なので、幾つかコレクションに仲間入り。


*木製の「赤カブの車に乗った兎」*
茶色の兎と白い兎、それぞれ1つずつ、
たった2つだけ店頭に置かれてた。

「最後の2つだけ?」

これはもうワタシを待っていたとしか思えない。うん。

消費者心理として「最後の一つ」って作戦に弱い典型だわ。



同じお店で、同様に木製の「きのこ」たち。

色違いのパステルに白の水玉模様。

手作り風なので大きさとカタチが微妙に様々の不揃いで、
それも魅力。

*ブーン、ブーン♪キノコの林を走り抜け*



*何だかちょっとメルヘンちっくな風景*





赤カブの車を運転する兎、、、と言えば、兎年生まれの16歳の Erikaは今年17歳になるんだけど、実は今日から学校の課外授業で「自動車運転免許」を取得の為の特別講座が始まった。

計10日間の予定で、放課後3時頃から5時半か6時頃までの2〜3時間の授業だそうで、終了後には筆記の試験があるらしい。

合格すれば次は実践での運転練習を規定の時間だけこなし、更に試験。

母親としては複雑な心境だけど、同じクラスの中で Erikaは年配だそうで、殆どが15歳、中には14歳の生徒もいるんだとか!

ちょっと日本人の感覚では「ひぇ〜〜〜っ」てな感じ。

一方、息子 Kaitoは18歳になってもまるで車の運転には興味ないらしく、毎日、市バスに乗ってカレッジに通学中。

十分、オトナになってから運転免許を取るってのも悪くないような気はするケド。




2016年2月13日土曜日

珊瑚礁の人魚:フッキング編

何だか自分でも "Wow wow wow..."って感じなのではあるけれど、ブログを書かずに10日間近くが過ぎてしまった。

熱中するプロジェクトがあって夢中になって作業してた、と言うのもあるけれど、同時に、やはりちょっとした冬鬱みたいな気分もあり。

自分の意思に拘わらず外出しなければならない用事があったり、あとは火災報知器の点検で消防署の人と、管理会社の人が来るってので、だったらたまにはちょっと気合い入れて家の片付けをしないと、、、なんて思っていた矢先、管理会社からのメールで、この家の所有者であり、現在アメリカ政府の仕事でアフリカに勤務している筈の女性オーナーさんも、たまたま彼女の母親が入院したらしく帰省してるから、一緒に立ち会いにやって来るとの事で、私の緊張感は一気にアップ。

ひぇーっ、もっと真剣に掃除しないとっ!てので、慌てて "Cleaning Lady"に変身。

普段から手を抜かず、しっかり掃除しとけよってな感じではあるのだけど。だはっ。

取り敢えず、やっつけ仕事での片付けが功を奏して、消防署員さんに感心されたのと、あとは消化器の設置場所を質問されて

「ハイっ! ガレージと地下の洗濯室に合計2つありますっ!」

と即座に優等生的な勢いで解答できたのもあり

「良く整理整頓されて、万が一の火災の際の応対にも懸念無しそうですね」

と太鼓判を押され、さっさと帰って行かれたのでホッとした。

あとは少しだけ管理会社の女性2名と、オーナーさんと雑談をして解散。

無事に終了して良かったけれど、何だかとっても気疲れがした。


合間には Erikaが猫のシッターをするアルバイトの為の送迎とか。

アメリカでの在住許可があっても、仕事をする事が出来る許可を国から許されていない私と子供たちなので、お小遣いを稼ぐ為のアルバイトすらする事が出来ないのが不自由な現状なのだけど、「働けなくてもさほど問題無し」と感じてる私と Kaitoとは対照的に、自立心が強く、物質的な欲求も強い典型的な十代の女の子の Erikaに、成り行きで仕事が舞い込んだ。

クライアントは、私のラグ・フッキング仲間の一人:ジェインさんで、元幼稚園教諭の彼女は、高校教諭を定年退職されたご主人と二人で旅行に出掛けることが多く、留守にする間の家の管理と、飼っている2匹の愛猫たちの面倒を見る人材を探してた。

たまたま私とは家が近いこともあり、うちには十代の子供たちがいるし、と言う訳で、Erikaに白羽の矢が立った。

Erikaは以前暮らしてた家の近所でも、バケーションに出掛けた人達の家の鍵を預かって、植物の水やりとか、猫の餌やりとか、あとは仕事で留守中の家の犬の散歩とかをして、ちょっとした小銭を稼いでいた経験もあり。

その頃は動物が大好きで、将来は獣医になりたいとか話してたのよね。

すっかり忘れてはいたけれど、犬猫が好きなのは相変わらずだし。

そして意外と責任感が強かったりするから、割りと安心して任せられるって部分があるのは親としての身贔屓と言う訳でなく。

マイナーは問題として、Erikaは未だ車の運転免許を持っていないって事。

この辺りでは、15歳くらいから免許を取得する為の授業が、高校の課外授業として受講することが可能で、だから16歳くらいで既に車を運転して学校に通ってたりする子も多くて、実際、学校には生徒用の駐車場も広く用意されてる。

まさにアメリカ映画の「ハイスクールもの」そのものの世界で、カナダからやって来た日本人の私にとってはちょっとした文化的ショックだったケド。

とにかく、ジェインさんから彼女の家の鍵を預かり、仕事内容が記述されたコピーも受け取り、今回はほんの4日間と短期間ではあったのだけど、学校の後、せっせと通って家と猫の面倒を見て、終了後、フロリダ旅行から戻ったジェインさんからの報酬を受け取った Erikaは、今後も引き続き、同様の依頼を受ける予定で、次回は3月の1日から16日間の予定で、なのでその間、私は再び送迎役で忙しく、おまけに私のタクシー・サービスは報酬ゼロなんだけど。

ま、Erikaにとっては良い社会勉強であり、猫と触れ合う機会でもあったり、そして更におカネまで貰えるという、願ったり叶ったりな状況。

お金を貯めてカメラとか iPhoneとか買いたいらしい。

私も高校生の頃、色んなとこでバイトしてた(ステーキハウス・レストラン、ホームセンター、コンビニ、サンリオ、etc.)から、当時の自分を思い出すけど、あの頃は何も分からず無我夢中でやっていた仕事ではあるけれど、人間関係とか、仕事をすると言う基本的な意識とか、報酬としてお金を得る価値観とか、経験として学んだことの数々は無駄ではなかったと思う。


作業中のプロジェクトは引き続きのマーメイド・シリーズ。



*珊瑚礁のマーメイド:あみもの編*



あみもの編の作業がとても楽しかったから
フッキング編も作ってしまった。

*Hooked version of my Mermaid in the Lagoon*
色んな種類の毛糸やリボン、シルクなどをフッキングして。

色と素材の洪水に埋もれながら楽しくて楽しくて仕方ないって感じ。



さすがに肩凝って、あちこち痛かったり。

寒いから夜は早く寝て、早朝に目が覚めて老人のような生活時間だったり。

寒さや暗さに生活を制限されて気分的に滅入ったり。

早く春の眩しい光のシャワーを浴びて滅入った気分を一掃したいな。


2016年2月4日木曜日

カリフォルニア土産

今週の火曜日はテキスタイル・センターに行く予定の日(だった)。

が、しかし、大雪注意報。

メンバーのメアリーさんから全員宛てのメールが廻って来て、

「ワタシは行くつもりだったけれど、他には誰か行く予定の人いる?」って感じで。

メンバーの中には、割りと遠くから車を運転してやって来る人たち(White Bear Lakeとかお隣の Wisconsin州とか)も多くて、しかも私より年上で年配の人も少なくなく、だから冬場の天候は大きな要素。

結局、実際に雪が降り始めたのはお昼を過ぎてからだったのではあるけれど、事前に行かないことに決めた人も多かったので、出席者は6〜7人程度だった。

私はセンター内の図書館に返却する本があったりもして、だからメールでは

「今のところ、行く確率は55%程度」と返事しておいたんだけど。

なので到着した途端、私の顔を見たスコティさんが

「あ! 55%の確率の人が来たっ!」てので皆でウケた。


私には初対面の女性も一人いて、静かにせっせと編物をされてたので自己紹介を兼ねて挨拶を交わした。

大学で教鞭をとっていたけれど、定年退職されて自由な時間が出来たので、大好きな編物を楽しまれたり、ご自身が着る洋服を作られたりもするんだそうで興味深い。

元々はドイツ系の移民とのことで、名前を "Clara/クララ"さんとおっしゃるので、私は思わず

「あら、『アルプスの少女:ハイジ』に出て来るハイジのお友達と同じ名前ね!」

と、私の中で「ドイツ系のクララさん」で連想されるの唯一の発想がソレで。

「あ、そうそう、そうなの、その通りよ♪」

と、クララさんの顔が一気に柔らかい表情になって、何だか嬉しそうな返事が返って来たのは実は想定外だったから、逆に少し驚いた。

日本で、TVで放送されてたアニメしか知らないンだけど、アメリカでは実写版で古い映画(シャーリー・テンプル主演)になってたり、勿論それ以前に児童文学として普及してるって現実を再認識。


テキスタイル・センターでは、各々が持参した作業をしつつ長テーブルを囲んでお喋りするのが主旨だけど、私は最近、視力の変化があって、、、つまり老眼が始まってるんだけど、元々は近視があって遠くを見る為のコンタクト・レンズを愛用してるから、余計に手元が見え難かったりして、安い老眼鏡を掛けてみたり、コンタクト・レンズを片方だけ外してみたり、何だか忙しい。

なのでもう、外出先での作業はほとんど諦めてるって状況。

そもそも、編物などはともかく、外出先でラグ・フッキングをするのは道具も大掛かりで材料も大量だったりから大変だし。

作業は自宅でするのに専念して、集まりでは主に社交を楽しむのが目的になってる。

家に籠って独りで集中して作業するのが効率が良いし、けれど、それだけでは孤独で情報不足になってしまうから、敢えて外に出掛けて行って不特定多数の人々と交流することの意義とか重要性を感じてる。

新しい出逢いもあれば、新しい発見も沢山あるし、お喋りは脳への刺激になる。

更におまけとして、予想外の嬉しい事なんかもいっぱいあるし。


先週カリフォルニアに行っていたディーニーさんがお土産にプレゼントしてくれた。

ヴィンテージ風のデザインが施されたパッケージでの「マッチ」と、庭の木になっていたのを捥いで来たという「レモン」。


色んな種類のデザインのものが数々あった中から、特に私には「人魚」(現在のプロジェクトに因んで)を選んでくれた。

箱の裏のデザインは "Merman/マーマン"(男性の人魚)。


近いうち、私なりのマーマンも作って、既に作ってあるマーメイドたちと組み合わせてみようかな、と思う。

そんな訳で、次回は "Merman"作りに挑戦。



2016年1月31日日曜日

海底プロジェクト

週末は特に、何の罪悪感もなしに作業に没頭する事が出来るので天国。

何だかんだ言って平日はやっぱり、それなりにこなさなければならない家事もあったりするし、当然だけど。 

ま、最近はちょっとサボり気味ではあるケド、ってのは内緒で。

でも日中、TVは一切見ないし、ネット中毒でサーフィンに没頭してるって訳でもないから、家に籠って独りでチクチクしてるくらいは、そうそう害もなく、外でお金を浪費する事もないし、何の役にも立たないモノとは言え、何かしら創り出すという行為ではまぁ一応、プロダクティブ(生産性のある)な時間を過ごしてるから許して、って感じ。

何の文句も言わず、私に好きな事を自由にさせてくれる Davidは凄いなと思う。

私が逆の立場ならきっと家の中の事に細かくネチネチと文句を言うと思うもん。

ま、そういう確信がある自分ってのも凄いなー、嫌な人間だなーとは思うケド。




今週末は「海底」を制作中。

少し前から編んでる「人魚」たちの為のステージとして、作品展に出す為のジオラマ作りのほとんど全てを毛糸を編んだり、かぎ針で編んで仕上げる予定で。

まずは背景の海中を編む作業から。


濃淡の違うブルー、、、群青色とか藍色とか紺碧とかターコイズとか、合間にちょっと緑色系、紫色系も編み込んで、本当に楽しい作業。

雰囲気を見るために人魚たちを配して、うん、いい感じ♪と納得して編み続けたり、仕上がりを楽しみに予想しながらの作業は本当に気分が盛り上がって幸せ。


気分が盛り上がって幸せな作業の時には、自分の中にいいエネルギーが湧き上がるような錯覚があって、高揚したハイな気分で凄くいい感じ。

そんな時には次々と色んなアイデアが止めどなく押し寄せる。

そうだ! 背景には小さなガラスの魚たちを泳がせよう♪とか。


そうだ! 海の底の岩場には貝殻を配置しよう♪とか。


そして、海の生物にはカラフルな色彩でヒラヒラとしたものを作ろう♪とか。


色々と思い付く度に、割りとどんな素材や材料も既に持っていて、ササっと直ぐに取り出せたりする自分が凄く幸せだったりして更にハイな気分。

海中の生物って、本当に不思議なカタチをしていたり、びっくりするくらいショッキングな程に鮮やかな色合いだったり、改めて自然が造り出すデザインの神秘に感嘆させられる。


なので、そんな神秘的に不思議で綺麗な存在を、自分の手で創り出すことの楽しさと言ったらハンパない。


この上なく美味しいものを味わった瞬間に感じる絶頂感を "Foodgasm/フードガズム"とか、"orgasm"をもじって言ったりする訳だけど、私が綺麗な素材に囲まれて夢中で作業してる際に感じる快楽は、まさに "Colorgasm/カラーガズム"だと思う。



覚え書きとして:

この間、多分、新聞だったかと思うんだけど、印刷されてるのを見掛けてひどく納得した引用の一節があって、残念ながら、保管せずにうっかりリサイクルに入れてしまったらしく見つからないんだけど。

多分、何かしらファイバーに関連してクリエイティブな職種か作家の言葉だったかと思うんだけど。

Something I hear, I forget.

Something I see, I remember.

Something I touch, I understand.

というもの。

一般に、

人が耳で聞く事は、意外と忘れ易く、いずれ、すっかり忘れてしまう。

それよりは、視覚に入るもの、目で見る事は、割りと記憶に残る。

そして、手に触れて感触として認知することは、即ち、文字通り「理解する」と言うことに他ならない、、、と、そんな感じの内容なんだけど。

とても、とても説得力があって、特にウール素材を愛するファイバー・アーティスト(自分的には「あーちすと」だけど)の私にとって、心地良いインパクトをもって胸に響き、深く印象に残った。




余談で、前回テキスタイル・センターに行った際、「海の底のジオラマ」プロジェクトの計画を話したら、図書館員のナンシーさんが早速、関連の本を幾つか選んで持って来て見せてくれた。

「借りてく?」

ってので、熱意に押されて「は、はい」と貸出し申請して家に持ち帰った。


本当に環境とか人々とか、とても協力的で素晴らしいンですけど。

何だかまるで私の背後で、チアリーダーの皆さんが並んで応援してくれてるような。

お陰さまでやる気満々。



2016年1月29日金曜日

Starry Night: My Version


ラグ・フッキングには点描画と同様の要素があり、私にとっては油絵を描くのと同じような表現手段だと感じてる。

なので、古くからの伝統的なフォークアートとして北米に根付いている、床に敷く為のラグをフッキングするカテゴリーには収まらないような。

そういう意味では、プリミティブなラグ・フッキングを愛好する人々の会に参加する際、ちょっとした違和感と言うか、なんか浮いてる?ワタシ?みたいに、多少の心地悪さを感じる事があったりするのも事実。

だって他人と同じ事したくないし、型にハマりたくないし。

それでいて平和主義の小心者だったりするから微妙なアンバランスで。

エキセントリックな芸術家みたいな存在感に憧れつつも、どこか謙虚で自分自身を前面に押し出すだけの十分な自信が無い。

かと思えば時には自信満々だったり。

繊細過ぎて、小さな事に傷付いて打ちのめされたり、落ち込んで打ち拉がれてみたり、それまでの全ての自信を失ったり。

この歳になってさえ未だ、自分自身というものを確立してない。

自分はいったい何処を目指して何になりたいと思ってるのか?途方に暮れる。

それでも、この間たまたまテクスタイル・センターでのステファニーさんとの会話で、彼女が彼女の母親について話してくれたんだけど、この周辺では名を馳せた画家だったら彼女が、本格的に絵画の道に進んで有名になって絵が売れるようになったのは、実に彼女が70代に入ってからの事だった、と言うのを聞いて驚いてしまった。

それまでは普通に主婦であり母親業をしてたらしいから、特に絵が売れなくて苦労してた時期が長くあったと言う訳では決してないみたいだし。

何の道でも世界でもそうなのかと思うんだけど、物事が上手く運ぶような時期とか縁とかってのはあるんだろう。

目には見えない力によって運ばれて行くような、全ての条件が奇しくも揃うような、まるで時計仕掛けの細工の歯車とか、銀行の金庫の鍵がピッタリと揃い合ってカチっと開く瞬間みたいな、幸運なタイミング、みたいなものは存在すると思う。

まぁ私自身、明確な目標がある訳ではないけれど、取り敢えず大好きな針仕事に没頭し、継続しながら、いずれ近い将来に何かしら自分で自分自身に納得することが出来るようなカタチとしての結果が欲しいとは思う。

自分がこの世界に生きた証みたいに、何かしら誇れる足跡と言うか。

Crafterで終わることなく、Artistを目指したいとは引き続き意識しながら。

まぁ日本語だと「手芸家」の響きも決して悪くないとは思うけれど。

「芸術家」だと、何だか大層で堅苦しい響き、私的には。

外来語で「アーティスト」なら意味は同じでも軽いノリなのが面白い。

私はカタカナな響きで「アーチスト」を目指すのがいいかな。

ちょっとオツムが軽くてサイケでポップな気がするから。

いずれにしろ、カナダで最後に住んでた家は可愛くて機能的ではあったけれど、とてもこじんまりとしていて空間に限度があったので、私の作業スペースも当然、限られていて。

事務的な作業をする机は、ダイニングルームの隅に置かれ、食事をする場所と兼用って感じで、大きな食卓は作業するのに最適ではあったけれど、使うことが出来るのは食事の合間だけであって、食事の時間にはすっかり綺麗に片付けないとイケナイ。

それを考えると、あれこれと食卓の上に引っ張り出して作業する行為自体が何となく億劫になってしまい、よっぽど気が向かない限りは作業をしない、みたいな。

今、振り返って見ると、ラグ・フッキングを継続してはいたけれど、あの頃、実際にフッキングしていたのは週に一度だけとか、ほんの1時間程度とか、本当に細切れな時間での作業だったから、一つの作品を仕上げるのにも多くの時間を要した。

あの頃と比べて見ると、今は本当に夢のような環境。

全ての材料や道具が常に手の届く場所に出されたまま。

素材や色やデザインに「囲まれてる」って状態は大切だと感じる。

自分が大好きなモノたち(この場合、ウールとか毛糸とか生地やボタンなど)が洪水のように氾濫する "Chaotic/ケオティック"(日本語だと「カオス」)な環境に身を置くことで、絶え間なく触発されて色んなアイデアが湧き出すって感じは、ある意味、ちょっとハイな状態にあるような?

とにかく、とてもいい感じ。






大好きなゴッホの「Starry Night」をウールで表現。


縁取りは着物の帯に使われる素材を端切れで持ってたのを使用。


照明の光によって色合いや質感がかなり違って見える。


大抵いつもフリーハンドで、きちんと下絵を仕上げないので、
最後に背景の下布のスペースが足りなくなってしまった。

なので、幾つかの「星」が収まらず。

ま、そんなもんです。

その辺が私自身の中での「アーティスト」と「アーチスト」との違いで、
私がアーチストである所以、みたいな。