2011年12月26日月曜日

クリスマス症候群

*Christmas ornaments in a ceramic bowl 
on the coffee table at my in-laws'.*

クリスマスも過ぎてしまえば何ともあっけなく。

あとは静かに年末年始を迎えるばかり、、、って感じで。

クリスマス商戦の街の賑わいや、プレゼントを買い求めるデスパレートな人々が右往左往する半狂乱のごった返しも既にに過去の笑い話。

と同時に、家族が集う、一年で最も「家族で過ごすひと時」に象徴されるクリスマスは、色んな事情でそうすることが出来ない状況に置かれた人々にとっては、何とも感傷的な気分にさせられる辛い時期でもあったり。

実際、私の身近にも最近ご主人を亡くされたばかりの女性とか、離婚したばかりの女性とか、独りで過ごす初めてのクリスマスを迎える人々が何人かいたりして。

或は私と同様、生まれ育った国を遠く離れてこの土地に暮らし、両親や兄弟姉妹には滅多に会えない多くの人々とか。

正直、クリスチャンでない私にとって、クリスマスは宗教的な意味合いよりも、何だかお祭り騒ぎの楽しさと、異国での孤独感や郷愁の想いが入り交じった寂しさとが、波のように交互に押し寄せる感じの、感情的に混乱した泣き笑いの時期でもあったり。

義理の両親宅で過ごすクリスマスの為に、Davidの両親や妹にあげる為のプレゼント選びに悩んだり、調達に奔走したりする間、「家族で過ごす楽しいクリスマス」を思い描きつつ、それでもふと、もう3年近くも会ってない自分自身の年老いた両親の姿を想い描くと、何とも言いようのない切なさや懐かしさと共に罪悪感のようなものに苛まれたりもして、複雑。

心配掛けることなく幸せに暮らしている現実が、私から両親にとっての親孝行であると日頃、自負している(と言うか、自分に言い聞かせている)のは、まぁ言い訳のようなものでもあるんだけど。

クリスマス前、23日(金曜日)にラグ・フッキング仲間が Maureenさん宅に集まったんだけど(今回は計6人)、たまたま Margaretさんが、買ったばかりの大きな輪に束ねられた毛糸を編み易いよう毬みたいなカタチの「毛糸だま」にしてる作業を見て、一人ではなかなか捗らず苦労してる様子に、昔、編み物好きの母が同じ作業をしてたなぁ〜ってのを懐かしく思い出した。

その度に、まだ小学生だった私が手伝ってあげたっけ、、、と懐かしさに思わず笑みを浮かべながら、Margaretさんに
「その作業、手伝ってあげるわ。私、慣れてるから。」
と言ったら、彼女は一瞬だけ意外そうな顔をして、でも直ぐに理解したように微笑んだ。

私は床に置かれた毛糸の大きな輪を手に取ると、その輪を両手にはめて、彼女が毛糸玉に糸を巻いていきやすいよう、彼女が巻くリズムに合わせて右手と左手を交互に上下させた。

その状況(白髪で年配の彼女が糸を巻くリズムに合わせて、床に座った私が毛糸の輪を通した両手を左右に動かす図)は、まるで映画『ラタトゥイユ』の中で、食通の批評家がクチにした懐かしい味わいに、幼少の頃、彼の母親がキッチンで優しく微笑みながら作って食べさせてくれた当時の自分の姿へと、一瞬にして時間を遡って脳内で逆戻りして行く、、、みたいな現象。

一瞬の時間錯誤って言うか。

瞬間、私は自分の頭の中であの頃「母を手伝う小学生の自分」の図を錯覚してしまった。

ユーミン的に言うと♪子供の私がよみがえり座ってる♪みたいな。

それで Margaretさんに
「I used to do this all the time for my mother…」
(私ってばこの作業、昔よくやったものよ、母の為に)
って何気なく気軽に笑いながら説明するつもりが、
「…for my MOTHER.」
ってとこで、何故か急に思いも掛けずに妙に感情が込み上げてしまって、嗚咽しそうになる自分を自分で驚きながら食い止めたって感じ。

普段、努めて気付かない振りをして無視してはいるけれど、やっぱり心の奥底の方にしまい込んである「ホームシック」ってやつが、どうやらこの時期には顔をのぞかせるらしい。。。

1 件のコメント:

まゆみ さんのコメント...

糸巻で母を手伝う姿・・なんか自分も読んだ瞬間幼い日の「確かなあの記憶」が甦ってきました。

Mayumiさんにとっては、心のふか~い部分にあったものが、一気にこの出来事で押し寄せてきた感じなのでしょうね。

でも、きっとお母様は、ご自分の娘さんが、
他の人ではそうそう経験できないことを
良き伴侶を得て、幸せにやっているので、それを誇らしく思っておられるのではないでしょうか。

どんなに離れていても、母と娘の絆って
特別ですものね。