年に一度のマモグラムに行って、クリニックの受付で「過去3週間以内に海外を旅行したかどうか?」確認されたから。
「えっと。。。」と咄嗟に頭の中にカレンダーを思い浮かべて "No"と答えた。
この3週間は未だ何となく「ふわふわ」した感覚の日常で、完全には自分のペースに戻ってないような気がしてる。
まずは時差の関係で時差ぼけ、、、は、実は割と直ぐに現地時間に体が対応して、自分でも驚いたのではあったけれど、ほぼ翌日から普通の生活リズムだった。
若い頃、海外旅行から帰国した翌日から出勤、なんて事を苦とも思わずに平気でしてた頃の自分を懐かしく思い出す度、「今はもう無理」と思ってたけれど、実は意外と大丈夫なのかも?なんて思うくらい。
体にとってショックだったのは気候のギャップで、想像はしていたものの、「夏が(私を待たずに)終わってしまった」感じに既に寒い日々が続き、慌てて冬用のパジャマや、アクリルの毛布を引っ張り出して来て、「もう冬なのかい!?」みたいな切なさに意気消沈。
その後、気温が持ち直して夏の終わりの暖かさに戻ったけれど。
*夏の間中で白い紫陽花が少しずつ珊瑚色に染まり始める*
週に一度顔を出している Textile Centerでの手仕事のグループに久し振りに戻り、見慣れた仲間たちの笑顔や抱擁で迎えられて嬉しく、私は日本からの手土産をシェアしたり、日本で購入した手作り本を披露して廻ったり。
3週間延長して日本に滞在した理由と体験談で盛り上がったり。
仲間うちの多くが頻繁に海外旅行(アジア、北欧、アフリカなど)をする人ばかりなので、アメリカ人の視点での彼女たち自身の外国VISA問題、(政治絡みでの)入国審査状況、体験談等々を聴くのもかなり興味深く面白かった。
*羽田空港で見つけた海外へのお土産にぴったりな箱入りチョコレート*
アメリカに戻れない間でお休みしていたヴォランティアにも復帰。
基本的には、「老人施設内のギフトショップの運営」が仕事なので、当番の日は単独で店を開け、レジの開け閉めと店番(顧客サービス)とちょっとした掃除と雑用だけをすれば良く、合間に隣接のカフェテリアに無料の昼食を取りに行って、学校給食風な料理を食べるのを密かな楽しみにしてるんだけど。
いつの間にか私の仕事内容がアップグレードしてて、店内のディスプレイ・コーディネーターとかショーケース・アドヴァイザーとか、みたいになってる。
たまの当番で行ってみると責任者:リズから手書きのメモと、空になったガラスケースが私を待ち受けてて、「好きなように商品で飾ってみて!」てのが続いた。
*レジカウンターのディスプレイケースは綺麗に空になってて、
"Saved for Mayumi"のメモがあるのには笑ってしまった*
店頭を飾る仕事は好きなので、全く苦でもなく、楽しんでやってしまって喜んで貰えるのだから、まさに "Win&Win"。
*秋のテーマでゆっくりな時間を意識して、
時計とお茶(ティーポット)と読書(本+老眼鏡)と
スロークッキングの料理本などをかぼちゃの置物と共に*
施設内のお年寄りと交流すること自体は、私にとっては自分自身の両親と身近で関わり合う事の出来ない償いのような気がしてるんだけど。
とは言え、よくよく振り返って見ると、過去の5年間で一度も日本に帰省してなかった現実は何とも親不孝だったのではないか、と自責の念に駆られている。
アメリカに引っ越してからの日々は本当に夢のように過ぎてしまった。
期間限定で仕事に就いた Davidの滞在ステイタスが何度も変わり、それに伴って私自身のVISAも影響を受け、アメリカへの出入国に対して神経質になっていた事実も理由の一つで、だから車での移動以外ではカナダへも帰省してなかったりする現実。
日本国籍を維持しつつ、カナダの永住権を取得しているものの、カナダ国内には暮らしてないので、今はカナダへの渡航にも特別な許可証を要する、ってのが面倒。
これ程テクノロジーが進化した時代に、今更ながらに各種ドキュメントを複数頁の紙に印刷したものを、政府機関に郵便で送付しなければならないと言う残念さ。
既に提出済みの情報や、全ての指の指紋や、空港での顔識別写真に加え、瞳での識別などで近未来的に、2カ国間での移動がもっと単純でスムーズになれば良いのに。
最近では珍しくもないと思われる国際結婚が未だに「面倒で厄介な事」みたいに感じる場面が時々あるのは、ちょっと時代錯誤で意外な感じさえする。
多重国籍を認めない国が日本以外にも結構あるんだなぁ〜って驚きと共に。
アメリカに戻り、出来るだけ早く日常の生活に戻るよう意識したものの、多少の「逆カルチャーショック」みたいなものは少しだけあった気がする。
日本での滞在が長ければ長い程、日本での習慣や感覚が再び身に付いてしまうのは仕方の無い事なのかも知れないけれど。
人との距離感とか、咄嗟の返事とか、まぁ微妙な違いではあるんだけど。
日本で楽しかった日々の夢から醒めるみたいに少しずつ、日常の生活に戻りつつあった2週間目に、空港で Davidと共に Erikaをカナダへと見送った。
一時は、アメリカに帰れないまま日本でこの日を迎えるかも?と絶望的に落ち込んでたのを考えれば、家族4人での暮らしを最後に2週間じっくりと過ごし、心の準備をしながら締めくくれた事は、私にとっては幸運な事でもあり感謝している。
以前にも3週間程度でカナダへ行く Erikaを空港で Davidと見送った事があって、当時の彼女は17歳だったから、別の意味での不安や心細さがあって涙目だったけれど、今回は20歳になった彼女が自立する為の別れで、多分もう家族として4人で暮らすことは無いんだろうと思うと、その事実だけで涙目になってしまうのだった。
彼女の独り立ちを祝うハッピーな別れのはず、ではあるのだけど。
世間で一般的に言われる "Empty Nest Syndrome"(空の巣症候群)ってやつ。
ぽっかりと胸に穴が空いてしまった感じ?
多分、自分的には、予期した程には酷くない、とは思うのだけど。
それでも、Erikaの居ない空間を目にすると寂しい気持ちになる。
彼女の部屋や、夕食時の食卓での彼女の定位置の椅子や、デッキで一緒に珈琲を飲む際のガラスのテーブルの向こう側の椅子や、あちこち。
*目の前の椅子には Erikaが座ってるはずだったのに*
家族の中で珈琲を飲むのは再び私だけになってしまった!
「今日はどんな珈琲を淹れる気分?」と訊く相手もいないから、コナでもコロンビアンでもティミーズでも、もう勝手に淹れて勝手に飲むわ、ってな気分。
スーパーマーケットに食材の買い出しに出掛ければ、手に取った食材を(あ、Erikaがいないからもう食べないや)と元に戻したり、(Erikaがいないと食べきれないから)と買うのを躊躇ったり。
反面、菜食主義の彼女がいないので、久々に魚介のパスタやソーセージのパスタを作って食べてみたり。
そこかしこに何とはなくの寂しさを感じながらも、新しい食習慣と生活リズムに順応しつつある。
何よりも、Erika自身は再び自国であるカナダで暮らす事が出来て嬉しそうだし、彼女にとって初めて暮らす土地であるオタワの街の魅力を満喫してる様子で安心した。
当初は大学の寮に入ることを希望してたのだけど、早くに満室になってしまったらしく、市バスで20分程度で通学する事の出来る範囲内でのコンドミニアムで、別のカナダ人の学生の女の子とそれぞれ個別の部屋を使えるルームメイトを、Erika自身が自分で見つけた。
ルームメイトのお父さんがコンドミニアムの所有者と言うのも安心なところで。
既に学生証を取得し、バスの定期券も入手、授業も始まり、銀行口座の開設も済ませ、パートタイムで働ける仕事を見つける為の履歴書も作って幾つかの候補先に送り始めてるらしい、、、と言う彼女の逞しさに正直、圧倒されてる。
改めて、彼女にとっては文字通り満を持しての自立のタイミングだったのだと。
来年は Kaitoの番だけど、うーん、ちと心配。と言うか、かなり心配。
夏の終わりはそれだけで切なくて物悲しい季節だけど、今年のそれは更に輪をかけて心に隙間の空いた感じで隙間風が時折、吹き抜けてる。
なので手仕事の方もすっかり気が乗らずお休み中。
日本での6週間、ほとんど何もしてなかったので、その延長で手仕事から遠去かり、果たしてどれくらいの期間で禁断症状が出るか?試してみたいような気もしてる。
自虐的に、意味も無く自分への挑戦みたいな? ほんと何の意味も無いケド。
あぁ、あとは余談で、ここ数日、何故か目が痒くてショボショボ。
秋の花粉のせいか?はたまたジムで泳いだプールの水質のせいか?謎。