2010年10月20日水曜日

切ない現実

昔、ユーミンの曲のフレーズで
『大人になったら宿題は、なくなるものだと思ってた』
ってのがあって、
実際、その頃の私も、大人になったら全ての問題が解決して、自分自身という人間を確立して、人生に対する迷いもなく生きられるような錯覚をしていた。

現実には、この歳になっても尚、日々もがきながら自分探しをしつつ、人間関係に葛藤し、異文化での生活の中で悩んだり、迷ったりしてる、いつまで経っても”大人”になれない自分がいる。

”大人”になれない未完成な人間のままの自分なので、頭での思考と心での感情とが上手く連動しない事があったり、ホルモンに翻弄されて必要以上に感情的になってしまう事があったり。

そして、だからそんな最悪な状況の時には、身近にいる誰かに八つ当たりなんかして傷付けてしまう事だって結構な頻度であったりするのも事実。

でもって、その被害者がDavidならば問題は無いンだけれど(いや、多少はあるか)、それが時々、子供たちだったりして、特に娘のErikaは11歳で、私と同様にホルモンの影響を受けて(?)過剰に繊細だったりする時があるので、そんな時は余計に過敏で脆く傷付き易い。

今夜は、私の苛立ちに反応して落ち込んでいたErikaに反省させられてしまった。

小学6年生の彼女は、ちょうどあの頃の私と同様に自分探しの暗い森に迷い込み、手探りで答えを探そうとしているみたい。

彼女は周囲の同級生たちに囲まれながら、友達関係に悩みながら、本当の”友達”が持つ意味合いとか、自分が果たして何者なのか、いったい自分は何処のグループ/世界に属するのか、訳の分からない不安や孤独感に混乱している。

よく人生を長い旅に例える事があるけれど、実際、その旅の途中で自分探しの”暗い森”を抜けることは可能なんだろうか?

11〜12歳の時に見出せなかった答えを、未だに探し続けてる「かなりいい歳をした」私が娘にしてあげられるのは、ただ一緒に座って肩を抱きながら話を聞いてあげることくらいな気がするのは、何だか本当に切ない現実な気がする。

4 件のコメント:

まゆみ さんのコメント...

お嬢さんは、幸せですね。一緒に肩を抱いて
話を聴いてくれるマミーがいて。

思春期の子どもたちの心は本当に繊細で傷つきやすく過敏に反応しますよね。

でも、もう大人の仲間入りをしようと準備を始めていて、もし、大人が「しまった!」と思って素直に「ごめんね」と言うと、柔らかい心で、それを受け入れてくれるのも特徴のような気がします。

よくわからないけど、きっと大人も子どもも
「自分の心に真摯に向き合ってくれる人」を
求めて、歩き続けるような気がします。

たとえ、一生のパートナーが見つかってさえ、まだ尚、「理解者」が多ければ多いほどいいというのか、「共感」してくれる人を
探しているような・・。

人間って複雑な生き物ですよね。(笑)

Mayumi さんのコメント...

まゆみさん

ほんと人間って計り知れないですね。(笑

自分が子供の頃って、自分の親が悩んだり葛藤したりしてるとは、夢にも思わなかったので、いざ自分が親の立場になってみて、いつまで経ってももがいてる現実にびっくり。

多分、あの時代の平均的な日本の家庭では、親子の役割りがハッキリとしていて、親は子供に対して弱みを見せたり、心を打ち明けたり、余りしなかったのかも?

最近では時代の変化と共に、親子関係も随分と多様化してますよね。

生き続けている限り、自分探しの旅が続くんでしょうけれど、それを人は修行と呼ぶのかも知れませんね。(笑

あぁ〜、何だか毎日、悩みと煩悩ばかりだわ。
精進しなくちゃ!(笑

LM さんのコメント...

数年前に、どんなに知識や経験を蓄積しても、
自分が死んだ途端にそれらがすべてゼロになることに
想い至って、愕然としました。 (遅っ?

丁度、デジカメのメモリを初期化するようなものですね。

世界中の誰にも関係ないんだけど、自分だけが愕然と
してしまう…。

というわけで、刹那的だった人間が、ますます刹那的に
なってしまいました…。

Mayumi さんのコメント...

LMさん

確かに、大人になると言うことは、自分が永遠に生きない現実を知ったり、ひょっとしたら来週も普段通りの生活をしてるとは限らないとか、明日が来ないかも知れないと言った、若い頃の確信に満ちた安心感を否定される事だったりするのかも?

どう生きるか?よりも、最近はどう死ぬか?に私の焦点も移行しつつあるような気もします。(笑
(って、そんな歳じゃ無いけど!)←お互い♪