2016年9月12日月曜日

プラチナ・パープル

大好きな夏が去ろうとしてる気配が何とも物悲しく切ない気分にさせられる。

今朝は今シーズン初めて、珈琲に代わって紅茶を淹れた。

暑い夏の間はまるで紅茶を飲むって欲求が湧かないから。

暫く使っていなかった電気式のコードレス・ケトルは、内側のステンレスの表面に硬水のカルシウムが、薄い層を成して蓄積してしまってたので、水と酢を半々で入れて放置した後、沸騰させたら綺麗になった。

酢の匂いが残るのは仕方ないとして、何度か水を湧かして漱げば解決。

久し振りに美味しいミルクティを愉しむことが出来た♪


先週末は割りと多くの人々と関わる機会があって色々と考えさせられた。

やっぱり私は本質的に内向的で自閉的な傾向もあるのかな〜なんて。

時々、他人と関わることが精神的な負担になる。

思春期の少女みたいに心が繊細なの?って自虐的に嘲笑しつつも、でも実際、そんな感じに他人の発する言葉の端々に過剰に反応して傷付いてしまったり。

私ってば50を過ぎたオバさんなのに!?と自問自答。

自分なりの解釈では、日本で30年暮らし北米で20年暮らしてるから、北米での自分はまだ20歳そこそこなんだろうなぁ、なんて。

気候風土の違う土地で、現地の言語は土地に根ざした文化や価値観に基づいた交流の道具だから、土地柄の精神面も強く反映していて、北米の英語を話すということは、単に単語を覚えて暗記した台詞を言うのとは全く別のものだと考える。

北米英語を喋る自分には、北米文化と価値観の感覚を身に付ける必要があり、それは新しい自分の誕生でもあったから、そういう意味では二重人格みたいな感覚かも。

だって北米の社会では、日本人の自分ならば絶対に言わないような言葉を口にするし、日本の文化では絶対に取らないような行動もするし、日常茶飯的に、自分の中の「日本人の私」を意図的に無視して封じ込めるような葛藤の場面が多発する。

だから時々、頭が混乱するのよね、きっと。

本当の自分ってのが、実は一体どんなものなのかってことに対して。

私の世代、日本では「皆と同じように」って教育を受けて育ったから。

北米でいきなり「自分らしく」「皆と同じにならないで」と言われて途方に暮れたってのは遠い昔、今もその延長で発展途上な過程なんだろうな、未だに。

高いハードルの一つは、自意識過剰な自分を捨てるってこと。

それは自尊心と並んで現れる二つのハードルかも。

自分の言動に揺るぎない自信を持つって難しい。

周りの人達が自分に対して何を期待し幻滅するのか、好意や敵意を抱くのか、、、ひょっとして、そんなものは最初から全く皆無なのかも知れないのに。

ばっかみたい、、、とここでも自嘲。


金曜日の老人施設内のギフトショップのヴォランティアで、仕事内容は単純に、店の開店と閉店と商品整理や値段付け、レジの管理と接客、な筈なんだけど。

でも最近、これにちょっとした「カウンセリング」も含まれてる気がする。


ギフトショップで買物する顧客は主に老人施設を訪れる人達であって(勿論、施設内で暮らす自立したシニアもいるけれど)、施設にいる身内を訪ねて来る家族。

概ね女性で、年老いた母親を見舞ってやって来る場合が多い。

多くの場合、年老いた母親たちはかなりの高齢で、痴呆の症状を発症してたり。

接客の基本として「こんにちは〜、お元気ですか〜」といつも声を掛けるんだけど、「ありがとう、元気よ。アナタは(元気)?」の後にお天気の話が続いたり、ってのは良くあるパターンで、その延長で庭の草木の成長だとか季節の花の話だったり。

そして時々は、こちらがビックリするくらい、堰を切ったように自分の身の上話をし始める女性も少なくなくて、多分、年老いた両親に対する不安や、ストレスなんかを発散する機会が余り無いんだろうと察するのではあるけれど。

見ず知らずの私、しかも単なるギフトショップの売り子に、「え、そんなプライベートな事まで?」と驚くくらい親密な状況について打ち明けられたり、そして、そんな場合には大抵、涙目だったり涙を流してたりで。

だから私は単純に「うん、うん」と聞いて「そうよ、そうよねー」と相槌を打って、「大変ね〜、偉いわね〜」と労いの言葉を掛けるよう心掛けてるんだけど。

いやーーー、私も素人ながら少し心理学の勉強でも齧ってみようかな、なんて。

と言うのも、相手の痛みを和らげる効果的な「話の聞き方」の技術ってのもあるだろうし、と同時に、哀しい話を沢山聴いた後で、自分が受け入れた分の負のエネルギーに対処する方法を知るってのは必要な気がするから。


なんて思ってた矢先にプロの心理学の医師と出逢う機会に恵まれた。

なんてこったい。

私ってばいつもこんな風にラッキーなのよね。

必要な時に必要なものや人と巡り合うの、不思議と。


Erikaも時々、私と同じギフトショップでヴォランティアをしてるから、同じような場面に出くわして、同様な状況で顧客の世間話に付き合ったりするんだろうけれど。

でも彼女ならきっと、涙を流して話す顧客に対して、そっと肩を抱きしめてあげたりするんだろうな〜、なんて思いながら、私もそうするべきなのかどうか躊躇ってしまう部分があったりするのは、やっぱり自分が100%北米で生まれ育った北米人ではない現実が背景にあるからなのかどうか?単に私が私という人間だからなのかどうか?悶々と考えてしまうのよね、相変わらず無駄に。


そして Erikaはいよいよ17歳で高校3年生の新学年度を始め。

髪の色はプラチナ・パープルになってたり。。。

*自分で髪を切ったり染めたりしてる Erika*


日本で高校3年生だった私は制服を着て学生鞄をぶら下げてスッピンで通学してた。
(髪の脱色もパーマも禁止で制服のスカート丈や鞄の厚さにも規制があった!)

アメリカの高校3年生は大抵、染めた髪にバッチリのメイクでファンキーな洋服を着てカッコいいバックパックを片手に車を運転して通学してる。

時間差もあるにはあるだろうけれど、これだけの社会的文化的背景や価値観や主義のギャップを埋めるのは、到底容易でないことは一目瞭然な気がする。




2 件のコメント:

para さんのコメント...

娘さん、素敵な色に染められましたね。もし黄色人種でお年頃の自分がやったら単にシルバーヘア~やん!って一人でつっこんでしまいました(苦笑)
実家のご近所さんのおばさまが凄く奇麗な紫(藤色)に染められててね。私も何時かその色に染めよう!と話してたりでした。
私は、海外で生活してると言っても現地の言葉に馴染んでるわけでもないし、子供もいないのでなんちゃってのまま。だもんでこちらでも日本語での性格とあまり変化ないかな私。なんて初めて考えました。
まゆみさんは、英語と日本語では、少し違う感じなのですね。
みんなと一緒と言う志向があまり見受けれなかった両親のせいか、私は、結構人と一緒でないのがクール~なんて感じで育ってしまったかもです。だもんで50過ぎてるのにまだ青臭い(苦笑)

Mayumi さんのコメント...

paraさん♪

確かに、髪の色は、肌の色や雰囲気によっても合う合わないがあるのかも知れませんね。
私も自分に合いそうな色は、まるで見当が付きませんが。
シニアで綺麗な白髪の人は羨ましいと思います。
そして、綺麗な紫色に染められてる人も割りと多く見掛けますよね〜。
世間では、加齢した肌の色に映えるんだとかで。

英語は、意思をハッキリと前面に押し出すって感じで、だから優柔不断な自分はちょっと横に置いとくって気がします。(笑
まぁどちらも自分ではあるんですが、時々、無理してるような、頑張り過ぎてるような気もして戸惑ったり。
あとはやっぱり両親とか家庭教育、環境にも大きく左右されますよね、基本的な性格の部分では確かに。
大人になったら人生がラクになるかと思ったのに、葛藤の連続だったりするようですね。(笑