2011年3月4日金曜日

タブーを侵さない為の目に見えない配慮

1996年以来、オートクチュール「Dior」の看板を背負って来た John Gallianoが正式に解雇されたニュースは、ちょっとした衝撃だった。

少し前までは謹慎処分だったらしいけれど。

とは言え、「ジョン・ガリアーノ」の知名度は高くても、実際に彼の顔をしみじみと見たのは今回の、ニュースが新聞に取り沙汰されて一緒に掲載された、彼の"runway"上の写真だったりするんだけど。

泥酔状態だったとは言え、ビデオに撮られた反ユダヤ主義的な発言が問題視されたらしい。


たまたま時期を同じにしたニュースで、ケベック州からのカナダ人観光客(30歳の男性)がベルリンを訪れた際に、ドイツの国会議事堂前で記念撮影する際、例の「ヒトラーに敬礼するポーズ」をして即座に逮捕されたってのがあって、余計に印象に残った。


無知は勿論、認識の違いってのも怖いな、とつくづく思う。


自分が生まれ育った国以外で暮らす際に、特別に神経を遣う範囲にいつもあるのが「その部分」で、特にカナダみたいな移民&多民族国家で色んな人種&民族が入り交じってる文化の中で、自分の無知に依って「知らずのうちに侵してしまうタブーが無いように」気を付ける、と言う配慮。

それって目には見えない事だけど、でも実は結構この部分で意外と疲れたりもするのよね。特に国際的な交流とか社交の場なんかでは。

会話の際に、相手の出身国や宗教&文化的背景や食文化なんかを頭の中で再確認しつつ配慮したりして。

会話の輪の中にユダヤ人もドイツ人も、キリスト教の人もイスラム教の人も、雑食の人(私)もベジタリアンの人も、中国人も日本人(これまた私)も同時にいたりするから。


2カ国語以上を話す人は老化による脳の衰えが鈍い、とかって言われるけれど、まぁその周辺で遣う神経とか臨機応変的妥協能力とか、あれこれ考慮すれば、確かにその説には説得力がある気もするな。

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