2010年4月12日月曜日

神様のご褒美


何か一つの分野で成功するような人は、没頭する集中力を持った人だろうと思う。
私はいつも、興味の対象が分散している上に集中力が持続しないので、行き詰まった時はいつも「ま、取り敢えず寝てみよっと」てな具合。

実現したい夢がある人は、睡眠時間を取り過ぎてはイケナイらしい。
つまり睡眠時間を削って夢を叶えるってことか。

でも、睡眠時間の多い私は別の意味での夢の中で過ごす時間が多い。
そして、夢の中で夢を実現してる場合も多い。

私は自分の潜在意識を過剰評価しているかも知れない。
でも、実際に、夢に描く願望が現実になる事が多い。

これまで欲しいと思ったものは何となくいつも手に入ったし、今の自分の生活はとても恵まれて幸せだと思う。

私の事を良く知らない人は、私を他力本願でお気楽な人生と思うらしい。
でも、私はそれなりの代償を払っている。
世の中のほとんど全ての他の人たちと同じくらいに。

国際結婚の場合の最大の代償は、配偶者と自分とどちらの国に根を下ろすのか?という悩み。
一時的にお互いの国での生活を両方試したとしても、大抵、いずれはどちらか一つの選択を迫られる時が来る。

お互いにとって縁もゆかりも無い第三国で暮らす事が出来れば、お互いにとって公平と言える。

私たち夫婦だって、カナダでもなく、日本でもなく、お互いの公平の為ハワイで暮らせたらいいけれど、そういう訳にも行かないので、最終的に多角的な配慮の結果、配偶者の国に落ち着く事を選び、それはお互いの合意の上にも拘らず、自分が妥協したと言うような意識はその後、ずっと頭と心の中の何処かに刻印され、忘れた頃に頭を持ち上げては、いつも自分ばかりが損をしている気分にさせられたり、自分が家族の幸せの為の犠牲者のような心境にさせられるのでたちが悪い。

とは言え、生涯の地としてカナダを選んだ以上、私の最初の5ヶ年計画では、『救いようのない英語を何とか人並みに生活出来るレベルにすること』だった。
そして、同時に10ヶ年計画では、『地元の人に紛れて快適な日常生活がフツーに送れる能力を身につけること』だったし。

常に自分で自分の背中を押しながら、時に人知れず嗚咽しながら、計画は5年後にも10年後にも実現された。

でも、今こうして快適な毎日を送りながらも、『まるでこの国で生まれ育ったような感覚で生きられるようになる』には、やっぱり私が日本で過ごした歳月と同じだけ掛かるような気がしている。(つまりあと更に15年くらい)

いずれにしろ、人は皆、たとえ何処に暮らしても、それぞれ置かれた環境で、それぞれ別の種類の『幸せになる為の代償』を払っているんだろう。

そして、そんな私たちに気紛れに、神様は時々、特別なご褒美をくれたりするんだと思う。

去年の夏、2年振りの日本への帰省。
新宿のパークハイアットホテルで滞在した2日目の夜に、パノラミックな部屋の窓から眼下に突然、打ち上がり始めた花火は、まるで予期せぬルームサービスのような驚き。
それはまさに、
「お帰り。異国でよく頑張ってるね。」
と、神様から私へのご褒美に思えた。








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